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家族のひとりとして愛された
ペットたちのためのペット霊園

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新潟県長岡市平2-5-7長福寺

ペットロスについて


ペットロスにはいろいろなケースがあり、様々な心境になるものですから、どんな思いをいだいても、どんな考えをしても、決して異常なことではありません。
愛する者を喪った人が至る心境で、誰しもが通過する優しさへの道です。

【目 次】
・ペットロスとは
・相互理解
・ペットロスの心身の変化
・立ち直りのプロセス
・ペットロスの予防
・ペットロスと子供の心
・ペットロスと大人の心
・教育としてのペットロス
・新たなペットを迎えるにあたって

 

■ペットロスとは
ペットロスとは、愛するペットとお別れした際に経験する喪失体験のことで、精神的な病気などではありません。
愛する人を喪えば「ヒューマンロス」といい、愛するペットを喪えば「ペットロス」というだけで、想う対象によって人の心のあり様が変化することはまりません。
誰を喪っても人の心は同じで、思うこと、考えること、起こること、どれも心ある人が経験することです。
ペットロスとは聞いたことはあっても、どういうことなのかとなると理解されているとは言えませんので、他の人に話しても理解してくれることも少なく、他の人から言われたことで傷つくことも多々あるのが現状かと思います。

私は人のお坊さんでもあり、動物のお坊さんでもありますから知っておりますが、人を亡くしても、ペットを亡くしても、先立つ者を愛している人の心は同じことを思い考えるもので、経験することや至る気持ちに変わりはありません。
だって、みんな同じ人間なのですから。
対象が人なら正常な反応で、対象がペットとなると異常な反応ということはありません。
愛する者を喪った人が誰しも通る心の道なのです。

 

■ペットの地位向上
近年、ペットを取り囲む環境は向上しており、昔は使役動物と呼ばれていて、役に立つからという理由で飼われておりましたが、今では「うちの子」「うちの家族」と呼ばれるように、種族の違いを乗り越えた家族のひとりとしての地位が確立されており、昔と比べて、より愛され、より可愛がられ、より深い絆で結ばれる関係に至っております。

庭飼いや物置飼いといった外でペットを飼うということが少なくなり、家の中で一緒に暮らすという人たちが増えてきて、共に寝起きして、共に食事をして、共に遊び、共に寛ぎ、言葉を交わし、心を交わし、いつも側にいてくれる存在になっており、人の心を癒してくれたり、心に寄り添ってくれたり、支えてくれたり、励ましてくれたり、助けてくれたりして、心の絆がより深く強くなり、伴侶動物(パートナー)としての地位も得つつあります。

獣医学や食学が進歩するにつれ、ペットの寿命は長くなってきました。
そうすると、人と一緒に暮らせる時間が長くなり、それだけ多くの愛情を交わし合うことになりますので、ペットを喪った時の悲しみや辛さは大きいものとなり、ペットを迎える時には想像もしていなかった、ペットとの別れを経験することになるのです。

「こんなに悲しいのは私だけなのではないか」
「こんなに辛いことだとは思わなかった」
「この悲しみがいつまで続くのか」
「どれだけ泣けば気が落ち着くのか」
「いつまでも泣いてばかりでおかしいのではないか」
「いつになったら立ち直れなるのか」

いろいろな思いを経験することになります。
共に暮らしてきた期間が長いほど、共に交わした愛情が多いほど、悲しみは深く、大きくなるものです。
さらに、ペットたちに支えられたり、助けられたり、癒されたりしたほど、心に占める割合は大きなものとなり、見た目は小さいけれども、存在としては大きなものとなっており、ペットを喪った喪失感は、「心にぽっかりと穴が空いた感じ」「自分の半分を失ったかのよう」などと感じるほど、とても大きなものとなるのです。

愛するペットを喪うことは、とても大きな悲しみであり、それに対する心の反応として、喪失体験をするのは当たり前のことであって、決して異常な事ではないのです。

 

■相互理解
ペットと一緒に暮らす人が増えるにつれて、当然のことながらペットを喪う人も増えるものです。初めてペットを喪ったという経験をされる方も増えつつありますが、世間一般ではペットと一緒に暮らしている人が多い訳ではありませんので、この悲しみが理解されないことが多々あるものです。

「たかがペットが死んだくらいで…」
「たかがペットのことで会社を休むなんて…」
「また飼えばいいじゃないか…」
「他のもペットがいるでしょ…」
「いつまで泣いているんだ…」
「いつまで引きずっているんだ…」
「まだ立ち直っていないの…」

ペットと暮らしたことのない人には分からないことも多く、一緒に暮らしている人であっても自らが経験しなければ理解できないこともあり、人の考え方もそれぞれなので、心ない一言により心に傷を負うことも多々あるのです。
人を喪った時には、気持ちに寄り添ってくれ、同情や理解を示してくれるのに、対象がペットとなると人が反応は違うこともあり、どう受け止めてよいのか戸惑うことも多々あるものです。

「いつまでも泣いていると、あの子が心配するよ」
「あんまり自分を責めると、あの子が成仏できないよ」

悲しむ人を慰めるつもりで言う言葉であっても、時にはその言葉が心に辛く突き刺さることもあるものです。
その人の善意から言ってくれていると分かっているだけに、言われたことに戸惑い、心苦しくなるものです。

このように、世間一般ではペットを喪った人の気持ちを理解するまでには至らず、周囲の受け入れ方や心ない一言で、心傷つき、深く落ち込むことも多く、人を喪った時よも周囲の理解が足りないので、その分、ペットを喪った方がより辛く悲しくなるのです。

このことから、周囲の人にペットを喪った悲しみを語ることができなくなり、一人でこの悲しみを受け止めるようと努力するのです。
悲しみは時間と共に徐々に癒されてゆきますが、周囲に理解してくれる人が少なければ、それだけ多くの時間を要することとなり、立ち直りはゆっくりとしたものとなります。

人は愛する者を喪って、深い悲嘆に暮れたとしても、多くの機会や時間により心癒され、辛い悲しみから立ち直り、日常の生活を送れるようになるものです。
ですが、周囲の人との相互理解ができないと、悲しみを抱えたまま、苦しい思いを抱いたままとなり、一人で思い悩み心身共に疲弊して疲れてしまい、日常の生活に支障がでることもあるものです。

この日常生活に支障をきたすような悲嘆のことをペットロス症候群といって、病院では心身疾患の一つとして考えますので、「ペットロス=病気」という誤った見方もあり、ペットロスについて誤解されていることもあります。

ペットロスは決して病気ではありません。
愛する者を喪った人が、誰しも経験することです。
悲しみの程度や立ち直りの期間、起こりうる心身の症状など、人によってそれぞれ違いはありますが、多かれ少なかれ皆が経験することなのです。
その程度が、日常生活に支障をきたすようであれば、専門家の助けが必要となりますので、心療内科・精神科などを訪れ、心身のバランスを整える薬を処方してもらうことも必要でしょうし、ペットロスカウンセラーという専門の人と話をすることで心を整えることも助けになります。

とにかく、一人で考え込まないことです。

 

■ペットロスの心身の変化
愛するペットを喪って、心身に起こることを一般的に述べますが、人それぞれ個人差がありますので、悲しみの程度や継続期間、感情や思いなどは様々ですから、異なることがあるかもしれません。
どんな思いを抱いても、どんな症状があったとしても、おかしなことではありません。

◇身体的症状

・泣く
ペットの死に対して様々な場面で涙することでしょう。思い出すと昨日のように過去のことであっても涙するものです。
いろいろな感情の涙を流すことになりますが、涙は心を洗い、深く清らかにして、悲しみを癒してくれるものです。
涙を耐えることよりも、素直に涙することが心のためです。

・睡眠障害
ペットのことを思い出して、涙しては眠れないこともあれば、泣き疲れて寝てしまうこともあるものです。
床に伏すと起き上る気力がなく、いろいろなことを思い出しては枕を涙で濡らすことでしょう。
また、今まで介護などをしていると、ちょっとした物音に敏感になって目覚めてしまい、なかなか寝れないこともあり、不眠症のような状態になることもあるものです。
心身にとって休養が必要なことでしょうから、ゆっくりとお休み下さい。

・摂食障害
食べる気がなかったり、思うように喉を通らかったりと、食事をする気になれないことがあります。
悲しいのにお腹が空くことに対する罪悪感や、食べられる自分に対する罪悪感により、食べることへの抵抗もあります。
反対に、愛する者を喪ったストレス反応として、過食症になることもあれば、拒食症になることもあります。
程度の差はありましょうけれども、命を維持するためには食べることは大切です。食べれるものから食べましょう。

・その他の症状
脱力感、頭痛・めまい、眼精疲労、関節痛・筋肉痛、胸の痛み、胃の痛み、などの泣き疲れによるものがあります。
それ以外にも、持病の悪化、体調不良などのように、気力の低下による身体的症状の悪化などもあります。
他にも幻聴・幻覚などいろいろなことがあるかと思いますが、決しておかしなことではありません。

程度の多少はありますが、日常生活に支障をきたすようであれば、病院での診察・処方、ペットロスカウンセラーへの相談など、一人で抱え込まず専門の方に相談することをお勧め致します。

◇精神的症状

・孤独感、不安感
自分が一人残されたかのような孤独感、生きる支えを失ったような孤立感、心の拠り所を失ったような不安感、思うようにならないことへの焦燥感など、これからへの不安や、他者に理解してもらえない寂しさなど、周囲の状況によっても心は左右され、心は落ち着くことなく、不安定な精神状態となります。

・後悔、恨み
自分の責任で死なせてしまったという自責の念。
もっと早く気づいていれば…、あんなことしなければ…、あんなことしたばかりに…、というような管理によるもの。
生前への思いから悔やむ後悔。
もっと一緒にいてあげればよかった…、あの時しておけばよかった…、私なんかで幸せだったのか…、というような生前に遡る思いからくるもの。
愛する者を喪った多くの人が、何らかの後悔を経験することかと思います。

動物病院や医師・スタッフに向けられる、命を救ってくれなかったことへの恨み。
ペット用品に起因する事故、交通事故などでは、メーカーや使用者、相手への憤りや怒り。
家族や他人に対する恨みや怒りなど、攻撃的な感情に囚われることもあれば、自分への責任に耐えきれず、責任転嫁してしまうこともあります。
恨み、怒り、憤りなどの負の感情は、貯め込むと心に良くないので、無害な方法で発散することを勧めます。

・活力低下
ペットが亡くなったことばかり考えて集中できない。無気力感からついボーとしてしまう。
いろいろと考えてしまい憂鬱になる。あの子のいない絶望感からなげやりになる。
ダメな人間だと思い込み自尊心の低下。活力低下による感受性の麻痺。一時的に記憶が曖昧になる。
様々なことから精神的な活力低下が見受けられます。

・その他


病気や看病からの解放感への戸惑い、外に出ることが嫌になり引き籠る、後を追いたくなる自殺願望など。
魂や死後の世界などの精神世界へ思いを馳せたりと、非日常的な精神的感覚になることが多々あります。

愛する者を喪えば、いろいろなことを思い考えるもので、どのようなことを感じたり、どんなことを思ったりしても、決して異常な事ではありません。

程度の多少はありますが、日常生活に支障をきたすようであれば、病院での診察・処方、ペットロスカウンセラーへの相談など、一人で抱え込まず専門の方に相談することをお勧め致します。

ある精神科の悲嘆からの立ち直りは、平均10ヶ月ほどかかるともされております。
あくまでも一つのデータですので、長くなることもあれば、意外と短いこともありますので、どんなに時間が掛かっても焦ることはありません。人それぞれですから、他と比較しないようにするとよいでしょう。

 

■立ち直りのプロセス

愛するペットが亡くなっても、人間の時と同様に悲しみを理解してくれるほど、社会はまだ成熟していないようです。
[
たかがペットのことで…」「また飼えばいいじゃないか…」と言うように、愛する者を喪った悲しみに、人間もペットも違いがないことを、なかなか分かってもらえないものです。

ペットロスという言葉は知られるようになってきましたが、分かっているようでいても表面的な事も多く、この悲しみを経験したことのある人でないと、十分に理解しているとは言えません。
また、人それぞれ異なるように、ペットロスとは言っても、人によって様々なことがあるのですが、いろいろな違いを受け止められるほど、人の心というものは広くはなく、自分が経験したことで判断することから、理解されるということは難しいことでもあります。

人が亡くなった場合には、親族や友人などが集まり、故人を偲び、残された家族は周囲の者たちから慰められ、悲しみを分かち合う葬儀・供養という文化的機能を有しており

 

ますので、時間と共に徐々に立ち直ってゆくものです。
ですが、ペットの葬儀となると、弔慶休暇が使える訳ではなく会社を休めず、家族だけでも集まることは難しくなるもので、人の場合とは少し異なります。

人の場合よりも、悲しみを分かち合う者が少ないので、その分、ペットを喪った方が悲しみが大きく深くなることが多々あります。

この悲しみはいつくかの段階を経て、時と共に徐々に回復してゆきますが、この感情のプロセスを知ることで、一筋の光が見えてくればと思い記しておきます。

第一段階:否定
愛する者の死という現実を受け止めることが必要になってくるのですが、「まさか…」「そんな…」「さっきまで生きていたのに…」と言うように、すぐには死を受け容れることはできないものです。
また、「夢であってほしい…」「嘘であってほしい…」というように、現実を否定したい気持ちになるものです。
さらには、自分が死を認めてしまうと、本当に死んでしまったことになるので、認めたくない気持ちもあり、受け容れたくはないのです。

死を素直に受け容れるのは難しいことで、多少の時間が掛かることでしょう。
ですが、死を受け容れることをしなければ、この先に進むことができません。

いつまでも亡き骸にしがみつき、そのままにしている訳にはゆきません。
借りてきた体は大地に還すべく、火葬や土葬をしなければなりません。
そうることで人は現実と向き合い、死を受け容れることにもなりますので、きちんとしたお別れや儀式をすることが大切なことなのです。

第二段階:後悔・懺悔・怒り
後悔の中でも多いものに、自責の念が挙げられ、死に起因することに対して後悔したり、生前にできなかったことに後悔することが多く、「あんなことしなければ生きていたかもしれない…」「あの時に気づいていれば…」「あれをしておけばよかった…」など、思い出しては取り返しのつかないことをしたと後悔して涙することが多くあります。

また、できなかったことへの謝罪としての後悔もあるもので、「気付いてあげられなくてごめんね」「苦しい思いをさせてごめんね」など、というように謝罪や懺悔の思いから涙することが多くあります。

後悔の中には、怒りや恨みを伴うものもあります。
獣医師や病院スタッフに対して死の責任を問うものや、死に関わった家族や他人に対して死の責任を問うことがあり、この時には強い感情が伴うもので、相手に対して怒りや恨みを抱くことがあります。
また、自分に対する罪悪感に怒りを抱き、自分自身を傷つけることなどもありますし、神様など祈った相手に対して怒りを抱くこともあるものです。

愛する想いがありすぎて、自分に対しても、他者に対しても、過剰に反応してしまうことから、自分や他人をあまり責めないようにして下さい。
後悔すべきことは後悔して反省し、責めるべきは懺悔して償い、至らなかった分だけ受け止めればいいのです。

必要以上に自分を責めても、あの子が喜ぶことなどはなく、大好きな人が辛い思いをすることを望む者はおりません。

第三段階:悲しみ・寂しさ
愛する者を喪って、大きな感情のうねりの中で悲しむことから少し時を経て、穏やかになる頃が悲しみと寂しさを実感する時で、この時が一番切ない時でもあります。

今まで一緒に暮らしていたペットの存在が、精神的に、空間的に、いかに大きなものであったかと知り、心に大きな穴が空いたように感じ、空虚な感覚からも悲しみや寂しさをいっそう深く感じるものです。
また、これまで支えてくれ、励ましてくれた者を喪うと、どうしたらよいのか不安にもなり、いっそう悲しみは増大して感じ、受け止めきれないものとなることもあります。

この悲しみを素直に表現して、感情を抑圧せずに解放することが大切で、十分に涙を流し、新たな生活に適応すべく心を整える必要があります。

悲しみからの手助けとなることを下記に挙げておきます。
・愛するペットの供養をすること(葬儀や供養など)
・悲しみを表し、いっぱい涙すること
・思い出を語り、語り掛けること
・家族や友人と思い出や悲しみを分かち合うこと

 

・思い出を綴ること(日記やブログ、アルバムの整理)
・思い出の品を整理すること
・同じ悲しみを経験した人の話を見聞きすること
・同じ悲しみを経験した人と話をすること
・ペットロスカウンセラーとカウンセリングすること
・体を動かして気持ちを発散させること(気分転換)
・新たなペットを迎えること

いずれの行為も、現実を受け止めることになり、心の整理ができるように促すもので、何もしないと癒しの時間が掛かりますが、これらのことを行うと時と共に心は徐々に癒されてゆくものです。

第四段階:受容・回復・感謝
1
3を順番通りに経過するだけではなく、前後したり、逆行したりしながら、徐々に心は整理され、愛する者との別れを受け止められるようになり、死を穏やかなものとして受け止めつつある状態です。
忘れた訳ではなく、思い出せば涙が溢れるけれども、以前のように激しい感情が伴うものではなく、以前のように頻繁に思い出すのでもなく、少し心は落ち着きつつあります。

辛く悲しい思い出よりも、一緒に暮らせた幸せな思い出を、目に浮かべたり、思ったり、話したりできるようになり、別れの悲しみよりも、出会ったことの幸せの方が多いことに気付きつつあります。
悲しみが消えたり、悲しみを忘れるのではなく、その悲しみは心の背景となりつつあり、心の前面から背後に移りつつあるのです。

愛するペットを喪った悲しい気持ちから心癒され、ペットと暮らす幸せを望み、新しい子を迎えたいと思い始める時期でもあります。
こんなことを思うと、あの子に申し訳ない気持ちになることもありますが、またの再会の予兆があるから思うことであって、心の素直な気持ちを受け止め、心の扉を開いておいて下さい。
きっと、素敵な出会い(再会)があることでしょう。

ここまでくるのには時間が掛かることで、ゆっくりと時間を掛けて悲しんできたから至れる心境となるのであって、悲しみをきちんと受け止めることで、一緒に暮らせたことへの感謝の気持ちに変わり、心から一緒に暮らせた幸せを抱きしめることができましょう。

あなたを悲しませるために別れがあったのではなく、お互いに幸せになるべく出逢いがあり、幸せの結果として悲しいのであって、出会えた幸せを、一緒に暮らせた幸せを、別れた悲しみ以下にしないでください。
心と向き合い悲しみを癒して下さい。

ペットロスについての詳しいことは、私の著書の『ありがとう。また逢えるよね。ペットロス心の相談室』『老いゆくペットと幸せに暮らすための40の心得』などをお読みになってみてはいかがでしょうか。

 

■ペットロスの予防

ペットロスの原因から逆に考えてゆけば、原因を予防すればペットロスにならずに済むのですから、分かり易いことかと思います。

後悔するということは、その時に思っていたにも関わらず、しなかったことが、後悔に変わっているのです。
いつ亡くなるのかは、先立つ者だけが知ることなのでしょうけれども、いつお別れがあっても後悔しないように、一緒に過ごしている毎日を、いつもと変わらないと思える一日一日を大事にすることが一番です。

「あの時、〜していればよかった」というように、気付いていながらしてこなかったことをなくすように、思ったことを行っておくことです。
思ったことを行ったとしても、他のことで後悔することもありますが、行ったことはできたことなり完了しますので、全体的にはより後悔が少なくなるものです。

後悔の中で多いものとして、病気などの調子や様子について気付いてあげられなかったことが挙げられます。
そのためにも、定期健診は怠らずに、健康だから病院に行かないのではなく、健康そうであるだけで、実は何か小さな異変が起こっているかもしれません。

 


一緒に暮らしているペットたちとは会話もできれば、心も通じているので、病気などの異変で飼い主に迷惑をかけまいとして、調子の悪いことを隠していることもあります。
また、動物の本能として、外敵に体調の異変を悟られては襲われてしまいますので、病気などの異変を隠して行動することが多々あるものです。

この2点から、ペット達の病気や調子の悪さというものは、なかなか気付かないものなのです。
だから、多くの人たちが「気付いてあげられなくて…」となるのですが、気付かないことの方が正しいのであって、気付いてあげられなかったことは仕方のないことなのです。

そういうことにならないためにも、獣医師という専門家の目と一緒に暮らしている者だけが分かる自分の目と両方の目でペットたちを見てあげることができれば、ちょっとした異変に気がづき、後悔することも少なくなるものです。

そのためにも、「掛かりつけ獣医さん」の存在が大きくなってきます。
調子が悪くなって訪れることが多い動物病院ですが、悪くなってからではいくら獣医さんでも手の施しようがありませんので、普段から定期健診などで日常の様子も見てもらうことで、その子のことをよく知ってもらうことが大切です。
病気などの際にはペットの性格なども踏まえて一緒になって考えてくれる獣医さんで、日頃から付き合いがあるだけにいろいろなことが相談できるということもありますので、「掛かりつけの獣医さん」を見つけると心強いものです。

そうして、あの子たちの性格なども踏まえて、どんな治療がいいのか、入院するのがいいのか、通院するのがいいのか、自宅療養がいいのかなど、ペットの幸福度も踏まえながら治療や介護などしていれば、ペットたちの負担も少なく、その中でも幸せな生活を少しでも送れたとしたら、亡くなった時の後悔が少なくなるものです。

「どうしてあげることが、ペットのために良い事なのか」
「どうすることが、お互いの幸せにとって良い事なのか」
ペットの顔を見ながら、自分の心に問いかけてみて下さい。
一緒に暮らしているあなたが一番良く知っているはずです。

詳しいことは、私の著書の『老いゆくペットと幸せに暮らすための40の心得』をお読みください。
「老いゆく〜」となっておりますが、年老いてからのことが主になりますが、ペットと一緒に暮らしている者にとって大事なことを1冊の本にまとめましたので、ペットの年齢に関係なく読んでおくと為になることがあると思います。
一緒に暮らしているうちに読んでおくことで、後悔の少ない暮らし方ができるかと思います。

 

■ペットロスと子供の心

子供たちは家族のひとりとして迎えたペットと、兄弟姉妹同然のように一緒になって成長してゆくものです。
その過程で、素直に心を交わし、絆を育んでおりますので、大人には想像することができないほど、素直で純粋な友情や愛情を交わし、無条件で自分のことを受け止めてくれる大切な存在になっていることが多々あります。

子供がペットと一緒になって成長し、お互いの関係を育んでいる時には支える必要はありませんが、ペットの寿命は人間よりも短く、いつかは悲しいお別れの日が訪れるものですから、その際には大人の支えが必要となりましょう。

大人であっても愛する者を喪えば、どうしていいのかと戸惑うように、子供たちはもっとどうしていいのか戸惑い、初めての経験なだけに気持ちをどうしてよいものなのか不安にもなりましょう。
そもそも死ぬということを、どのように理解しているのか大人には解からないでしょうし、子供だってどういうことなのかと思うことでしょう。

「なんで動かないのか」「死んだらどうなるのか」「なんで燃やすのか」というように、大人が常識としてしていることであっても、子供たちには理解できないこともありますので、子供の目線になって、子供に分かるように、子供の心に寄り添うように、優しくお話してあげて下さい。

「たかがペットのことで…」という言葉は、大人同士であっても禁句ですが、子供にとっては尚更です。
自分の家族を傷つけられたと感じますし、自分の大切なものを非難されたと思い、心に深い傷を負うことになります。
ペットではあるけれども、家族のひとりとして共に育ってきたのですから、人間=ペットという共存・対等の気持ちから接してきたのですから、大人から言われる言葉により、心傷つき、自己不安や人間不信にまで発展することがあります。

また、大切な命を軽んじられたことで自尊心は傷つき、空想にふけったり、他人との接触を拒んだりすることもありますので、よく注意して接するようにして下さい。

愛する者や大切な者を失えば、悲しいのは当たり前ですから、涙を流す事は人として当然のことです。
子供は素直に泣きますが、それを止めないで下さい!
悲しい時には涙を流すことにより、人は立ち直ってゆきますので、心の痛みを癒す行いでもあります。

それを、「いいかげんに泣くのを止めなさい」と言わないでほしいのです。
泣くのがいけないことなのか、悲しむのがいけないことなのか、どちらがいけないことなのかと考え、泣かないことを選べば、心に悲しみが残りますし、悲しまないことを選べば、心を失ってしまいます。

また、「死んじゃったんだから仕方がない」「また飼えばいいじゃない」という言葉にも注意が必要です。
大人からすれば慰めるつもりで言っているのかもしれませんが、今のこのどうしていいのか分からない気持ちを理解してもらえないという言葉ですので、否定や無理解・無関心ということを伝えていて、言われた子供の心は痛み、苦しいもので、より辛い気持ちになってしまいます。

このように、注意されたり、説得させられたりしているうちに、子供という存在は親を心配させまいと、泣くことを止め、平常を装ってしまい、悲しみが癒されることなく、そのまま心に残ってしまいます。
それが原因となり、体調不良などの心身症を引き起こすこともありますし、将来的にトラウマとなってしまうこともありますので、子供の気持ちになって、心に寄り添ってあげて下さい。

最後に、ペットの見送り方ですが、子供の気持ちに添うように考えてあげて下さい。
人の時にも行うように、棺となる箱を用意してあげたり、一緒にお花を飾ったり、好きだった食べ物を添えたり、お線香やロウソクを灯し、写真を用意したり、手紙を書くことを勧めたり、大切な存在として丁寧に扱ってほしいのです。

そうすることで、自分の大切な存在を親は理解してくれているとの安心感から、子供の心は癒されますし、何よりも親に対する信頼感というものが生じますので、子供の目線になって、子供の気持ちを大事にしてあげて下さい。

 

■ペットロスと親の心

世の中には鏡の法則というものがあるように、親の姿勢や家の習慣というものが自然と子供に身についていて、子供を見れば親が分かる、どんな家で育ったのかが分かるというほどのことが多々あります。
子供たちは大人の振る舞いを良く見ているもので、分かっていないのは大人の方なのかもしれません。
ペットを喪った大人の姿が子に受け継がれるとも言えますので、自らの振る舞いに心すべきでしょう。

愛する者との別れで、親が涙して悲しむ姿を見れば、死とは悲しいことであり、その悲しみを涙にして表していいものと教えずとも、語らずとも、子供に分かることでしょう。
そうすれば、安心して子供は涙することができますので、大人だからといって涙を我慢しないでください。

涙は心を清らかにしてくれるのに、大人だからと振舞っていたら、自らの心は癒されませんし、子供の前ではみっともないと我慢していたら、子供と心を分かち合う機会を失ってしまいます。

大人だって、悲しい時には涙していいのです。
大人らしく振舞うが為に、我慢して泣かないことによって、子供に悪影響を及ぼすことがあります。
「ペットの死なんてこんなものとしか考えていないんだ」と誤解され、失望されることもありましょう。
「ペットのことでこんなに悲しいのは自分は異常なんだ」と思いこみ、素直な心をを歪めてしまうこともありましょう。
「自分が死んだとしても、こんな感じで大したことではない」と感じ、自尊心を低下させることもありましょう。

むしろ、大人らしく振舞うのであれば、悲しい時には悲しみ、素直に気持ちを表現して心を表し、一緒に暮らしたペットたちへの敬愛の念を示すべく、きちんと見送ってあげるべきでしょう。
そして、簡単な慰めの言葉よりも大切なことは、悲しんでいる子供の心に寄り添ってあげて、愛情で接することです。

最後に、大人のペットロスでもって子供がペットと暮らしたい気持ちを阻害しないでほしいものです。
大人の台詞に「ペットを飼うと死んだ時に辛い思いをするから」という言葉があります。
以前に愛するペットを喪ったことがあり、その時の思いが癒されてなく、このようなことを言うのですが、これは自分自身の心の問題であって、子供がペットと暮らしたいと思うこととは違う問題なのです。

ペットと一緒に暮らすことが、とても素敵なことであることを知っているはずです。
昔の癒されていない心によって、一緒に暮らせる今という子供の時間を無駄にしないで下さい。
自分が辛い想いをしたくない為に、子供たちからペットと暮らす幸せや楽しみを奪わないで下さい。

もしかしたら、この出逢いが昔の傷ついた心を癒す機会なのかもしれませんよ。

子供が悲しい思いをしないように保護する方もおりますが、一緒に暮らすことから得られる経験はとても大きく、ペットと一緒に暮らすことで豊かな心は育まれます。
悲しい思いをさせないために、失うことの大きさを考えてみてください。
別れる悲しみを経験することも、将来にとって大事なことになるはずです。

本当に子供のことを思うのであれば、いつかは訪れる悲しい経験も必要なことです。
その際には、今度は自分が大人になっているのですから、一緒に悲しみ、心を共にすればいいのです。
そうすることで、親子の絆が深く強いものとなり、よい思い出となりましょう。

 

■教育としてのペットロス

ペットを飼う理由に子供の情操教育の為になると言いますが、教育の為にペットと一緒に暮らすという観点では、情操教育にはならないかと思います。
そんな目的ありきの思惑では、子供の心は理解できないでしょうし、大事な時の心の支え手としては役不足だからです。

大人の意志とは関係なく、子供たちはペットたちと心を交わしますので、小さなものを労わる気持ちや相手を思いやる気持ちを学ぶことに変わりはなく、自然と情操教育ということになるかもしれません。
寝食を共にして、一緒に暮らすことによって、人とペットという種族の垣根を超えることができ、心の幅が広がり、人生は豊かなものになるでしょうから、その意味では教育にはとても良いのだと思います。

ですが、情操教育という字のごとくであれば、情を操るということですから、愛するペットを喪うという喪失体験こそが最大の情操教育の機会とも言えましょう。

悲嘆や悲哀が起こるのは、心から愛することができた証であり、その悲しみや想いを抱え込まずに表に出すことは、人としてごく自然なことで、おかしなことではありません。
愛する者を喪うということは、辛く悲しいものであり、この時の大人の支えや共感が情操教育の礎になるのです。

愛するペットを喪って悲しむ気持ちに共感してあげることができたなら、子供は悲しみを表に表すことができ、自然と悲しみから癒されることになります。
悲しい時には涙していいのです。悲しい中にあっても、楽しい時には笑っていいのです。
心のままでいいのです。

無理に感情をコントロールすることが情を操ることではなく、心のままに表に表すことが情を操ることに繋がってゆくのであって、悲しみを抑えることではありません。
悲しいままでは情操教育ではありません。

悲しい時や辛い時に共感によって支えられ助けられた子供は、共感を寄せてくれた人に安心感と信頼感が記憶に残り、同じような時に同じ事ができるようになるのです。
この経験が、いつか、誰かが悲しい時や苦しい時に、その気持ちに寄り添える人になれ、誰かの心を支えられる力に変わるのです。

 

こうして、人生の大きな出来事となるペットとの別れにおいて、経験することから人として成長することになるので、周囲の大人の接し方や態度、言葉使いが子供にとって大きな影響を与えることを心にとめてください。


ペットを飼うことにより命の大切さを学ぶことになると言いますが、飼うだけでは命の大切さを深く考えることはなく、喪ってみてはじめて実感するものであり、亡くすことで命の大切さを学ぶことになるのです。

ペットと一緒に暮らすことで、食事や排せつの世話をすることにより責任感や自尊心が芽生えることもあります。
ペットのために何かしてあげることができたなら、心の糧として大きな経験となり、優しい気持ちが芽生えましょう。
寝食を共にして一緒に暮らすことで、愛情を交わし心の交流をすることができますので、子供にとって愛を学ぶ機会であることは確かなことです。

ですが、愛する者を喪うということから学び得る経験は、さらに多く、より深いものとなります。

死という教育(教育とは経験のこと)により、愛する者を喪う悲しみから命の大切さを実感し、一緒に暮らしている時に出来なかったことを悔やむことで、人はより優しくなってゆくのです。
この大きな悲しみから立ち直る経験をすることにより、人生で起こる困難を克服する力に変わるのです。

悲しみを経験することが、人をより優しく、より強くするのです。

ペットを飼う時に子供に対して願った「この子が優しい子になってほしい」との想いは、一緒に暮らしている時にも叶いますが、ペットの命の最後までを看取ることで成就するのです。
生きている時だけが教育ではありません。
死後の教育こそ重要なのです。

昔は大家族で暮らしおりましたので、家族の死というものを目にすることがありましたが、核家族となっては年長者の死を見ることは少ない上に、多くの人が病院で時を迎えるので、今では家族の死を目の当たりにしないものです。
見るのは綺麗に整えられた死であって、生き様ではありません。

老いてゆく生き様を見ることで考えることもあれば、老いてゆく者と共に暮らすことで学ぶこともあるのに、そういったことを経験することが日常にないので、死というものが非日常になりつつあり、命について学ぶ機会を失ってしまったのです。

昔は人の死から自然に学び得ていたことですが、今ではペットの死から命の大切さを学ぶことになりましょう。

ペットとの暮らしは、子供にとって自分の生い立ちでもあり、大きな存在を失うことになります。
ペットとの暮らしは、大人にとって我が子を失うかのように、大きな存在を失うことになります。

どちらにとっても、「うちの子」「うちの家族」と呼んできた者たちからすれば、ペットは大きな存在で、命の尊さは種族の違いや体の大きさでないことを学ぶのです。

自分にとってペットの命がとても大きな存在であったように、すべての命も誰かにとって大きな存在であり、どの命も大事なことを知るのです。
ペットの死が命の大切さを教えてくれる時代になってきているのです。

この喪失体験をすることで、いつか訪れるであろう家族の死に際しても、心の準備として礎となるので、ペットの死を軽んじないようにしてほしいものです。

ペットの死を軽んじるということは、自分の葬儀の際にもこの程度でいいということを自ら示しているようなもので、ペットに対する心ない扱いが、自らの最後の扱われ方になってくることでしょう。
ペットの死に際して、心を施し手厚くしてあげれば、自らの死に際して、心を施し手厚くしてくれるものです。

命の生から学ぶこともあれば、命の死から学ぶこともあり、ペットと一緒に暮らすということは、人生で大事なことを学ぶ機会となります。

 

■新たなペットを迎えるにあたって

ペットとの幸せな暮らしを知っているだけに、悲しみが癒えれば、また新しい子を迎えたくなるものです。
これは人の心情として、とても自然なことです。

生涯をこの子だけと決めて、添い遂げるという方もおりましょうし、また新しい子を迎えるという方もおりましょう。
どちらも自分が決めることで、人に指図されるものではありませんから、いつ迎えてもいいし、ずっと迎えなくてもいいのです。

ただ、気をつけてほしいことは、悲しみを受け止めることをせず、闇雲に悲しみを紛らわすために新しい子を迎えることは避けてほしいものです。
これでは、お互いにとって不幸なことになります。
新しいペットは前の子の代用であって、悲しみを紛らわせる道具ではありません。
命の替わりはありませんので、あまり可愛がることもできず、悲しみを紛らわせることにもなりません。

反対に頑なに拒む必要もないのです。
縁あって生まれ変わってくることができたとしても、大事な人が心を閉ざして受け容れてくれなければ、生まれ変わって会いに来てくれたのに、これを拒むことになってしまい、お互いに不幸になってしまいます。

ですから、新しい子と一緒に暮らしたいという気持ちは自然なことですから否定することはありません。
前の子への想いが薄れた訳ではなく、後ろめたい気持ちになることも必要ありません。

「また飼う」という言葉と、「また買う」という言葉とでは、同じであっても意味合いが全く異なるように、「また飼う」ということであれば、新たな出逢いとして命と向き合うことができますが、「また買う」ということであれば、命は物として扱われることになり、命として心から向き合うことができなくなってしまいます。

そうならないように、子供が泣くのを止めるために、新しいペットを買い与えることはしないでほしいものです。
ペットは品物ではありませんし、子供のおもちゃではないのです。
ペットを品物のように死んだらまた買えばいいでは、命の大切さを学ぶどころか、壊れたら捨てる、飽きたから捨てるということにつながってゆき、命を粗末にすることになってしまいます。

新しいペットを迎える際には、家族でよく話し合い、悲しみをきちんと受け止めてからにすることをお勧めします。

人によっては期限を決めるという場合もあります。
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日までは喪に服するというよう場合もあれば、一周忌が終わるまでは飼わないという場合もありましょう。

いつになったら飼ってもいいという日数や基準などありませんので、難しいことのように思えましょう。
どのように考えてよいのか迷うこともありましょうが、自分の心に素直になってほしいと思います。

頭で歪めた考えから無理に迎えようとすれば、どこか後ろめたい気持ちがありましょうし、出会うべくして出会う縁であれば、心がこの子だと素直に反応するはずです。

そのためにも、心の扉を開いておいてほしいのです。

「ペットを飼うと亡くなった時に辛いから…」「ペットは死んだ時が悲しいから…」という気持ちから、もうペットは飼わないということもありますが、ペットたちは悲しませるために亡くなった訳ではなく、辛くさせるために出会った訳ではありません。
一緒に暮らした幸せの日々を、辛く悲しいからと否定しないでほしいのです。

もう飼わないと思っていても、縁ある時にはペットと出会うものです。
すぐに迎えようとしても、縁がない時はかわいい子たちを見るだけで、一緒に暮らすほどにはならないものです。

 

あの子たちは、あなたが新しい命と暮らすことに嫉妬しません。
嫉妬するくらいなら自ら生まれ変わってくることでしょう。
あなたの愛は、新しい命に施しても減るものではなく、同じく愛することができます。
親が複数の子供を同じく愛せるように、あなたにも同じく愛せる心があるはずです。

ペットとの暮らしは素敵なものですので、心を頑なにせず、
新しい子との出逢いの為にも、心の扉を開いておいてください。

ペット霊園ソウルメイト

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