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プロフィールの続きで、どのようにして横田晴正という人間が
形成されてきたのかを、【お話:エピソード】と【気付きと学び】
という形式にてお話します。
ここに記してあることは私を形作ったごく一部ですが、
私の歩んできた人生を知ることで、
私がどんな人が分かってもらえたらといいなぁと思います。
(ここから先は長いですよ)
【Episode1〜Episode20 + LastEpisode】 |
Episode:1
今では名前を思い出してあげることもできませんが、あの時の様子は忘れることはありません。
いっぱいの子供を巣立たせてきた白文鳥のお母さんで、朝起きて挨拶しようとしたら巣にこもったまま亡くなっておりました。その姿を入口から静かに見守るつがいの桜文鳥の姿を憶えています。
そのつがいの桜文鳥が寂しそうに静かにしている光景がとても印象的で、その様子から言葉が伝わってくるかのような姿でした。
死というものは、動かなくなるということがショックで、昨日まで元気だったのに、いつも一緒に暮らしていたのに、これからはそうでないという初めての死に別れに、いつまでも涙しました。この時の光景を思い出しては繰り返し涙して、いつまでも泣いておりました。
小さい頃から側には鳥がいて、文鳥、インコ、オウム、九官鳥、十姉妹、四十雀、鳩、すずめ、ひよこ、尾長鳥、ムクドリ、ヒヨドリ、ツバメ、カラスなどを飼ったり・保護したりしていて、多くの鳥達と一緒に生活してきました。
それだけに、多くの別れを経験することになり、いつもお別れの時には心から「天国で幸せにね」と言ってお別れをしてきました。
【気づきと学び】
死というもの、悲しみに沈む心、喪失感というものを初めて経験し、桜文鳥を通じて、愛する者を喪うことへの思いは鳥にもあり、人も動物も違いがないのだと幼い心に教えてくれました。
この思いというものは私だけにあるのではなく、他の動物たちにも同じく思いがあり、同じく心ある者同士なのだということを教えてくれ、ただのペットなのではなく、私にとって家族なんだと気付かさえてくれたのです。
他の多くの野鳥たちも家族がいて、帰りを待ってくれる者もいれば、心配してくれる友達だっているのだと思うと、傷ついた野鳥たちの保護を積極的にするようになり、命の大切さをいうものを、死というものが気付かせてくれたのです。
Episode:2
この頃の実家(お米屋)では、家の中は鳥、縁の下で猫(家が食品を扱っているので、家の中で飼うことができず、飼い猫だけど外飼い)というような状況でした。
猫たちはみんな捨て猫を私が拾ってくるか、うちに寄りついた子ばかりで、誰かが居なくなると、誰かがやってくると言う感じで、常に猫がいるという環境でした。
そのようにしていつも猫がいるので、猫たちは交通事故で亡くなることが多く、いつも誰かの死で泣いているというように泣くことの多い子どもでした。
朝方近所の方が、「はるちゃんのところの猫じゃないの?」と訪ねてくると、いつも心臓が止まるかの思いで、「うちの猫だったらどうしよう…」「うちの猫ではありませんように…」と思いながら猫が横たわる道路まで案内されたものです。
猫の姿を見て、うちの猫と分かると、辛くて辛くて胸が張り裂けそうになります。
にもかかわらず、うちの猫でないと、可愛そうで辛いことには変わりないのですが、心のどこかでホッと安心する自分が許せませんでした。
道路で横たわる者が人であれば、誰かが助けてくれるのに、動物となると見過ごされ放置され、ほとんどは自分の手で猫を道路の脇に寄せておりましたので、動物の命を粗末なものとしか考えられない大人という社会が大嫌いでした。
うちの猫だと辛く悲しいのに、他の猫ならホッとしてしまう自分自身も、動物の命を粗末に扱う大人と同じではないかと自己嫌悪し、同じ人間であるということも嫌でしたし、私もいつか動物の命を粗末に扱う大人という生き物になるのではないかと怖くなったものです。
【気づきと学び】
事故で亡くなる鳥や猫たちは、自然のままに暮らしているだけなのに、もともと自分たちの住む世界だったのに、どうして人間によって傷付けられ、死ななければならないのかが分からず、いつも疑問に思っていたのです。
どうして殺されなければならないの?なんで人は動物を傷つけるの?
なぜ誰もそのままにしておくの?どうして仲良く暮らせないの?
昔からあったはずのみんなの自然を奪い、道を道路で遮り、大きな力で小さな命を殺める社会に疑問を感じており、子供である私にも同じ人間としての負の力が宿っていると思うと嫌悪感を抱かずにはおれませんでした。
それと同時に気がづいたことが、私も同じ人間なんだから、他の人がしたことであったとしても、同じ人間がしたこととして心から謝ろう!ちゃんと最後を見てあげようと決めたのです。
うちの猫の時には大泣きするくせに、うちの猫でないと安心してしまう自分が嫌で恥ずかしく、うちの子であろうがなかろうが、みんな同じ命なんだから、うちの子と同じように最後を看取ってあげようと変わっていったのです。
幼い私にはいつも謝ることと泣くことしかできず、いつも自分の力の無さを思い知らされ、非力な子どもなんて早く卒業して、もっと命を救える大きな力が欲しいと願っておりました。
そして、決めたことが、早く大人になろう!だけど、今の心を忘れることなく、動物の命を粗末に扱うような大人にだけにはならないようにしよう!と。
Episode:3
昔から生き物も大好きで、大きな動物たちだけではなく、家の中や外は飼育ケースがいっぱいあり、様々な生き物いました。
学校に行く前にエサをあげて様子を見ていると、1時間なんてアッと言う間に過ぎてしまうほどです。
金魚、鯉、フナ、ドジョウ、クチボソ、ザリガニ、サワガニ、イモリ、ヤモリ、カメ、カエル、カブトムシ、クワガタ、鈴虫、カタツムリ、カマキリ、テントウムシ、アリジゴク、なんでもありの生き物好きで捕まえてきては家で飼っていました。
当時の夢は動物学者、昆虫博士で、欲しいものは大きな鳥かご、飼育ケース,
、図鑑という少年で、行きたいところと言えばペットショップと動物園でした。
そんな少年ですから、寄り道や道草ばかりで学校から家まで素直に帰ることはなかったですし、帰れば籠と網を持って日が暮れるまで生物採集などしておりました。
【気づきと学び】
そんな生き物好きとは正反対に、好奇心からいろいろないたずらや実験などと称して小さな生き物(昆虫)を殺してきました。
今思えば、何であんなことしたんだろう、どうしてあんなことできのかなと思うほどです。
今では解かっております。
相手の立場になって考えることの想像力の欠如と他者を思う心の欠如から、人間という生き物は時に酷いことができる動物なのであることなど…。
そんな酷い遊びをしている時に、「かわいそうだよ。虫だって生きているんだから」と言われたことがショックで、小さな虫だって自分が愛してきた者たちと同じように生きているんだ、私が泣いている子たちと同じように命があって大小の違いはないことに気付いたのです。
それまで気付かなかったのが不思議なくらい驚きで、もし自分が同じ立場になったらどうだろう?こんなこと自分がされたらどうだろう?と思うようになり、より命を大切にできるようになったのです。
命を大切にできるようになると、小さな命からも思うことが増してゆき、生きているということ・生きるということの不思議さと神秘さに心を惹かれ、命ってなんだろう?人はなぜ生まれてくるのだろう?と小さい頃から考えるようになり、生きているって凄い!命がいっぱいある地球って面白い!と、さらに生き物好きに傾いてゆき、小さな枠から大きな枠の自然という地球規模のものへと興味は増してゆき、この地球が好きというようになっていったのです。
Episode:4
はじめて自宅で生まれたインコの雛がいました。まだ飛べないこの子をみんなで可愛がっていたのですが、籠から出して遊ばせているのを忘れて、母親が掃除している最中に誤ってインコを踏んでしまったのです。そのまま、インコは死んでしまいました。
私はインコが死んだことを離れた小学校で感じました。亡くなった時と同じ時間に、まだ飛べないはずのあの子が私のところに飛んできたのです。イメージしたというのか、感じたというのか、不思議な感覚でしたので、そのことを休み時間に兄に伝えに行くと、兄も同じ事を感じていたそうで、同じ時間に同じ事を感じ、「きっと死んじゃったんだよ」と話してくれました。
嘘であってほしいと願いながら帰宅するものの、やはり亡くなっていました。何時頃かと聞くと、私と兄が感じ取った時間と同じだったのです。そして、何で死んでしまったのかと理由を聞くと、気が動転して謝ってばかりいる母親に私は「ママが殺したんだ」と言って大泣きしました。
母親だって非常なまでの罪悪感で自分を責めて後悔していたのに、私は心ないことを言ってしまったと今でも反省しております。 “おかあちゃん、ごめんなさい”
【気づきと学び】
このことから、魂は離れていても、想いのある心にやってくることを経験しました。繋がっている心の絆を通じて何かを感じ取ったりすることができるのだと子供心に思ったものです。
今では、多くの経験と知識、見聞などから時間や空間を越えて想いが伝わったり、魂が同じく分化してそれぞれの人の心に宿ることなど知っておりますが、この頃はそんな知識もないので、感性として感覚として、そのようなことを受け止めておりました。
この出来事から、想いのある者同士は生前も心と心が繋がっているように、死後にも心と心は繋がっているので感じることができるということを教えてもらいました。
同じ想いは同じ心に宿ること、同じ波長は引き合わせてくれることなどを知るきっかけになり、想いが大切であることに気付き、想いがあれば引き合うこともできれば、共に生きることもできると思い、道路で亡くなる動物たちや保護しても助けてあげることのできなかった子たちに、同じ人間の過ちとして心から謝るだけではなく、魂があるのだから、「私の心と共に生きようね!」と言ってあげられるようなったのです。
Episode:5
プロフィールにも記してある猫のミクのことです。
ミクの虐待されようは酷いものでした。両目は砂で押しつぶされており、後ろ足は折られていて引きずっており、明らかに自然になった状態ではありませんでした。そんな状態でありながら、ミクは本能でもって一生懸命に帰って来たのです。
今では考えられないことかもしれませんが、当時は動物病院は数が少なく、治療が高額とのことで、外にいる猫達にとっては手の届かないところだったのです。
酷い状態なのでせめて家の中で楽にさせてあげようにも猫を外に出すよう言われ、猫を家の中に入れてくれないのであれば、私が外で一緒に寝ようとすれば毛布が汚れる・そんな寒いところで風邪をひくなど言われ、少しでも側にいてあげたいとずっと外にいれば早く寝るように言われ、学校に行かずに猫の側にいればまた言われ、私のしてあげたいことは注意され・叱られ・怒られることばかりで、願いが叶うこと少なく、小学生の私の無力さに情けなくなりました。
何もしてあげることができず涙しながらも、できたことがあったのです。
それは、祈ることでした。
離れている時にだって祈ることはできたので、ミクが帰ってきてから一緒にいる時だって、離れている時だって、ずっとミクの回復と痛みが穏やかになることを祈っておりました。
ですが、2日目の晩になると私の祈りは変わりつつあって、このままではそう長くはないと感じていたこともあり、最後の時に側にいてあげられることと、せめて安らかに穏やかであってほしいという2点を願うようになっていったのです。
3日目の夕方、私が膝に抱き抱えているとミクは砂まみれの目を開き、心に直接伝わってくる不思議な言葉で、ありがとうと伝えてくれ、この言葉を受取ると静かに力が無くなり死を迎えました。
昨晩願った通り、私が側にいる時であり、安らかではありました…。
そんなことを願っているから死が訪れるのだと自分を責めたり、命を救ってくれない神様に八つ当たりしたり、犯人に対しての怒りはどうしていいのか分からないし、ミクの痛みや苦しみを思うと心が張り裂けそうになり、それでも一生懸命に帰って来たことを考えると胸が締め付けられ、最後の力を振り絞って感謝してくれたことを思うと、涙は止まらず、咳や鼻水で呼吸はできないし、頭がグラグラして、自分がどうにかなりそうだった。
これから半年くらいは、亡くなった時刻になると同じような症状で長いこと泣いており、食事もろくに取らず、その後も、1年くらいまでは、夕方になると涙していました。
この虐待死がきっかけとなり、外で猫を飼っていると、こういうことにもなりかねないとのことで、家の中で猫を飼ってよいことになり、家猫生活の始まりとなる。
【気づきと学び】
この衝撃的な出来事から、死とは何か?生とは何か?と思考するようになり、あの世のこと、人生の意味などが気になって仕方ないのですが、哲学・倫理・宗教観というものは友達では役不足だし、先生や大人たちはまともに取り合ってくれず、ただ一人で世界で起こっていることを見つめ、現象をよく観察し、体験したことを思考し、ニュースで疑問に思ったことは、祖父に「なんで?」「どうして?」と常に聴き、命や心、社会について小学生のこの頃からずっと思考しておりました。
私は高校を卒業するまでは読書など一切してこなかった(両親はマンガでもいいから本を読みなさいとマンガを買ってくれるほどでした)のに、小学生の時から経験してきたことを自分なりに考え、感じて、思想してきたこと、求めていたことが、実は宗教書や哲学書などの多くに記されていること同じで、知識として知り得るのではなく、体験を通じて知り得るようにさせてくれたのです。
私の世界観や宗教観というものは、本で読んだ知識からではなく、猫の死をきっかけに命を通じて教えてくれた世界であり、今では知識と感性の両方から思考することができるのも、ミクは私に思考するという大事なことを与えてくれたお陰なのです。
先逝く命たちは、みんな私に何かを教えてくれているようでなりません。
私に伝えることがあり、教えることがあり、
私が私になるように、まるで使命を果たすかのように。。。
これまでの人生はただ生きているだけで、何も考えることなどないようなものでしたが、この出来事から物事を洞察し、深く考えるようになり、私の人生はここから始まったと言っていいと思います。
人生の始まりを猫が教えてくれたのです!!
Episode:6
初代家猫と呼べるのは、通学路に捨てられていた2匹の兄弟猫で、学校の帰りに家まで連れ帰り、母親を説得して飼うことになった、初代クロと初代チャコです。
家の中で飼っていいとの許可が出ているので、ずっと一緒の暮らしです。楽しくて楽しくて仕方ありません。外に出れば猫がいるのではなく、家の中でずっと猫と一緒にいていいのですからね。
それから2ヶ月くらいが過ぎて、初めて外に出してみようと外で遊ばせていると、呼び寄せても来ないほど外の世界に興味があるみたいで楽しそうにしていたので、そのまま様子を見ておりました。
母親に呼ばれて直ぐに戻ってきたのですが猫達の姿がありません。
いくら呼んでも返事が聞こえないし、いくら探しても姿が見えません。
捜索範囲を広げ仔猫を探していると、近所の方が「さっき、黒い仔猫を抱っこして歩いている人がいたよ」と教えてくれました。その人を探して、猫を返してもらおうと必死に探したのですが、見つからず、家の中で一緒に暮らせるようになって、すぐに別れを経験することになってしまいました。
死んでしまった訳ではないのですが、ずっと一緒にいれば良かった…、何で一緒に家に入らなかったのか…、出すんじゃなかった…と、後悔しては自分を責め、悲しくて泣いてばかりでした。
連れて帰った人が幸いにも良い人であればそれでもいいけど、もし虐待するのが目的のような人であれば猫が辛い思いをするのではないかと心配でたまらず、ミクの出来事など思い出して心は苦しくなり辛くなるばかりでした。
諦めて家に帰ってくると、玄関先の縁の下で小さく震えているチャコの姿がありました。そう言われてみれば、近所の人が目撃したのは、黒い仔猫を抱っこした人であって、チャコは臆病な子だったので他の人に近づかなかったのです。
悪い事ばかり考えても辛くなるばかりだし、そうなっては嫌なので、なるべく良いように考えるべく、クロの幸せを祈り願うことにしました。
私の心から神様には出て行ってもらっているので、空に向かい、月や星に願いをしておりました。
【気づきと学び】
死別とは異なる心の在り様を教わりました。
否定的な気持ちばかりで、悪い方悪い方に思考が向って、後ろ向きな気持ちになってしまうので、変なことばかり考えているとそうなっては嫌なので、なるべく良いように考えるようにしてみました。
辛い自分から逃げるための言い訳ではないかと思いましたが、私が信じてあげなくては誰が信じてあげられるのかと、クロの幸せをただただ願い、持ち前の明るさも加わり、ポジティブな思考をするようになったのです。
願いを叶えてくれる神様など存在しなくても、私が祈ること、私が願うことは、確かにここにあり、姿も見えない存在に願いを託すのではなく、その子のために自らが祈るという、祈りというものの本質に触れたかのようでした。
きっと、想いは届く、願いは叶う、そう自分が信じて祈るようになったのです。
クロは私に祈りというものを教えてくれたのかもしれませんね。
Episode:7
小学6年生の後半、学校でいじめられていて、無視され、嫌がらせをされ、登校拒否をしていたこともありました。
学校に着けば、下駄箱には上履きがありません。どこかに隠されていたり、捨てられていたりし、汚いもの扱いされ、悪口言われ、無視され、物を投げつけられ、給食や休み時間を一人で過ごし、とても辛い時期を過ごしておりました。
そんな中でも、家に帰ると静かに迎えてくれる1匹の友達がいたお陰で、随分と助けられたし、支えてくれたし、それでも何とか過ごすことができました。
この猫とはたまのことで、人の言葉を話す訳ではないのですが、私が辛くて泣いているといつも側に来てくれ、話し相手になってくれ、私の心を癒してくれたのです。
そんな心優しいたまに対して、家の前まできて悪口をいういじめっ子たちは、「片目の汚い猫」「片目の変な猫」と猫にまで悪口をいい、「お前が飼っているから変な猫なんだ」などと言われても、言い返せない自分が情けないですし、何よりも私のせいでたままで悪口を言われることが私には耐えられませんでした。
たまはベランダで日向ぼっこしているだけで、片目が変だの、柄が変だと言われてしまい、私がいなければたまは悪口を言われないで済むと考え、自殺することにしたのです。
死に方など知りませんでしたから、時代劇で見ていた割腹をするべく包丁を持ち出して、お腹に包丁を当ててこれから死ぬという直前のことです。
たまが側に寄って来たので、最後の挨拶をしていると、“膝の上に乗りたい”というので、抱っこしていると、シッポをフリフリして私の太腿をトントンするのです。まるで、赤子を寝かしつけるように。
そうされているうちに、生きようとして亡くなったミクや、生きようとして救えなかった野鳥たちのことを思い出し、与えられている命を自分の手で断つことが恥ずかしくなってきて、死ぬという覚悟と勇気があるのなら、その力を生きるに変えて、覚悟と勇気をもって生きようと発想を転換したのです。
たまは私の命の恩猫であり、私の人生はまた猫で始まったのです。
【気づきと学び】
例え学校で嫌われていたとしても、性格的に欠点があったとしても、外見がどうであったとしても、または私のことを好きでいてくれました。そのままの、ありのままの私を受け止めてくれていて、無条件の愛が私を救ってくれたのです。
「僕はそのままの君が好きだよ。目の悪い僕を、模様が変と言われる僕を、野良猫だった僕を、そのままの僕を素直に愛してくれたように…」と、たまは語りかけるかのように、シッポであやしてくれたのです。
命を救ってくれたたまの気持ちに応えるべく、
もっと強く、優しくなろう!生きてやろう!生きよう!と覚悟のある人生の始まりとなったのです。
無条件の愛情というものが、いかに心を救ってくれることかと教えてもらい、道路で亡くなって初めて会う子であったとしても、ここに命があったことを無条件に愛すればいいんだ!いつものように、今までのままでいいんだ!何も考えることなく、何も差別することなく。
そういう素直な想いが大切なことで、きっとこの無条件の愛情に救われる何かがあり、心からの素直な想いで供養することでいいんだ!
というように、無条件の愛情が命を救うように、無条件の愛情は魂を救うことにもつながると信じ、私は私なりの供養をしてゆこうと改めて深く思ったのです。
そして猫に救われた命だから、猫のためになる仕事がしたい!動物たちに携わる仕事がしたい!と将来像までも見させてくれました。
それからの学校生活というもは、学校に着いて上履きがないことは嫌なことで気が滅入りますが、そんな下等な人間のすることに惑わされないように、あいつら今日はどこに隠したかな?と宝探しをするような気分で上履きを探し、見つける度にこの程度の知能しかないのかね!俺だったらこんなとこに隠すなぁ〜と思えるよう変わりました。
無視されるのではなく、嫌がらせをするべく話しかけて、無視させるようにしたり、汚い扱いするのであれば、わざとぶつかったり、触れたりして、騒がせてあげるようにして、逆にいじめられていることを逆手にとっていたずらするほどになっていました。
みんなに無視されていることは嫌なことでしたが気にせず、人から見られることを気にするから辛くなるのであり、被害がないなら別にいいやとプラスに考えることもできるようになりました。
状況はさほど変わらなくても、こちらの気持ちは大きく変わっておりますので、以前よりも落ち込むことが少なく、学校に通うことができました。
それに半年我慢すれば、あいつらとは中学の学校区域が違うから離れることができると考え、卒業までの時間をカウントダウンするようになり、前向きないじめられっ子をしておりましたね。
そうすると、面倒くさいから、だんだんといじめられなくなりますよね。
心が変わると、人は変われるものです。
仏教の教えにある通りでした!
Episode:8
中学生の時に夜遊びをしていて、道路で亡くなっている猫を見つけました。いつものようにしてあげたいけれども、仲間の手前もあって、恥ずかしくて言い出せずにおりました。でも、このままではまた車に轢かれてしまい可愛そうなことになるので、自分のしようとしていることは恥ずかしいことなのではなく、むしろ正しいことなのだからと勇気を持って行動に移しました。
私のいつもの行いに、仲間のうち2人が快く手伝ってくれ、このまま埋葬してあげようとなり、近くの遊歩道まで連れて行き、草むらに土葬することになりました。
あの日、あの時、あの場に、あの猫ちゃんがいてくれたから、私は自分の思っていることを、自分が正しいと思っていることを、人前でもできるようになったのです。
あの日の友達にも恵まれていたのでしょう。快く手伝ってくれる者がいてくれたから、自らの行動を後押ししてくれたのです。
人からどう思われるだろうかという基準で行動するのではなく、自らの思いを行動にするだけで、それが他の人からどう判断されようと、どうでもいいことだということに気づかせてくれた出来事です。
高校生になるとバイクを止めて、道路で横たわっている猫を移動している時など、「あの人が轢いたんじゃないの。可哀想に」というような視線を感じることが多く、「自分じゃないよ!」と叫んで説明したくなることもありましたが、他人からどうのように見られようとどうでもいいのです。
亡くなった子は理解してくれているし、自分はただ正しいことをしているのだからと、気にならないようになれたのも、この晩の出来事があったからです。
【気づきと学び】
あの日の晩、私は人として成長した気がしました。
周囲からどのように見られるのかという評価から離れ、仲間と同じようにしていないといじめられるのではないかとの不安感を脱し、自分に今できることをすることが大切なことであり、人から評価されるとかではなく、誰が見ているでもなく、自らの心によって立てるようになれた気がしたのです。
自分の素直な心を信じ、自らのなりたい自分になるために、自分創りということを始めたのが、この時です。
多くの命から教えてもらったことを私という命に活かし、そのままでも大好きだと言ってくれるだろうけれども、もっと好き言われるような私も望むような人間になりたいと、性格を分析し、長所を活かして短所をカバーするという自分創りをするようになり、人生で起こる出来事から積極的に何かを学ぶようになったのです。
人生で起こる出来事は、その時々に見合ったものであり、自分の心の成長に合わせて、死をもって、動物たちが私らしい私になれるように、その都度その都度、機会を与えてくれているのです。
そのようなこともあり、同時の信念として2つのことを心に掲げておりました。
「他人の意見は素直に聞き入れ、自分は自分流に、自分を汚さないで生きてゆく」
「社会的に間違ったことでなければ、自分が正しいと思ったことを貫こう」
人生というものは不思議なもので、まるでプログラムされているかのように、その時々に応じて、出来事が起こっていたり、人と出会う縁があったり、上手くできているのですよね!
Episode:9
この頃は猫と保護する野鳥ばかりで、何でインコの雛がうちにいたのか憶えていないのですが、このインコの雛はとても私に懐いており、眠くなると側に来て肌を合わせるようにして寝ていました。
私は高校受験を控えており、机に向かっているのですが、実は勉強している振りをしているだけで、インコと遊んでいることが多く、親が来ると引出しに隠して、勉強している振りをしておりました。
まじめに勉強している時でも、右手にはペンを。左手には参考書をではなく、インコを抱えて勉強していたので、机に居る時はいつも一緒でした。
ようやく羽をパタパタするようになり、飛ぶ練習をするようになった頃、いつものように片手に抱きながら勉強していた時のことです。ぐっすりと寝ているので巣に戻そうとすると鳴いて嫌がり、私の手のひらで寝ようとします。
勉強に集中したいとの思いから、何度か巣に戻すものの、この日は妙に諦めが悪く、何度も手のひらに戻ってくるのです。しまいには妙にたどたどしくすり寄ってくる感じなので変な気がして勉強を止めて両手でずっと抱いておりました。
すると急に吐き始めて苦しみ出し、あっという間に力尽きて亡くなってしまいました。
原因はわかりませんが、思い当たる節としては、目を離すと消しゴムのカスやジュータンの毛玉を突っついていたので、もしかしたら誤飲していたのかもしれず、私のミスで死なせてしまったのだと思います。
あの時、「なんか調子悪いよ〜」「ねぇ抱っこして〜」とすり寄ってきたと思うと涙が止まりません。それなのに勉強に集中しようと何度も巣に戻そうとしていたことを悔やみます。
いつまで経っても、多くの命を失ってきても、別れの後は悲しみと後悔ばかりで、「ありがとう」よりも「ごめんね」しか言えない不甲斐ない飼い主で、私は動物たちと共に暮らす資格などあるのだろうか…と思ってしまいます。
【気づきと学び】
手のひらで眠る幸せそうな様子を思うと、あの子はこんな私でも信頼してくれていて、好きでいてくれたのです。不甲斐ない飼い主である私をそのまま受け容れてくれて認めてくれていたのです。
そのことを思うと、より切なくなりますが、短い間にも心を交わすことができたのだから、悲しくて辛いことも多いけれど、出会えたことに感謝しようと気付き、幸せがいっぱいあったのだから、「ごめんね」より「ありがとう」を言うように心を変えるようにしました。
いつも辛く悲しくて涙するのではなく、喜びと感謝の涙で想いを伝えようと泣けるようにもなりました。
至らぬ自分をも素直に受け容れよう!こんな自分でも好きでいてくれたのだから。
至らないのなら自分を変えよう!もうこんな自分のままでは嫌だから。
後悔してばかりだから、後悔しないようにしようと、前向きな後悔をするようになったのです。
この飛ぶことなく亡くなったインコは、自らの命を通じて、私に後悔しない人生をおくれるよう、私に翼を与えてくれました。
Episode:10
高校生の時にはバイクで宅配便のアルバイトをしていて、あるお宅に配達に行くと、玄関先で私の顔をまじまじと見まわし、じっと眼を見つめて「君は将来成功する」と話しかけられたことがありました。
その人は原宿の大きな神社の宮司さんで、易学、人相学、遺伝・免疫学などの研究もしているそうで、君に興味があるからここの神社に遊びにきなさいと名刺を渡されたことがありました。
目というものが、そんなに何かを語るものなのか?
と薄っすら思っていた頃の出来事です。
部活からの帰り道、バイト先に急いで向かっていると、横断しようとしていた道路の先で、車が急な車線変更をするからおかしいなと思い、道路に何かいるようだったので近づいてゆくと、道路に仔猫が横たわり、その脇に母猫らしき猫が様子を心配そうにしておりました。
私が近づく間も車は何台も通り過ぎてゆき、その度に母猫は車に怯えながらも、その場から一歩も足を退かないのです。車に怯え腰は低くなるものの、一歩も退かない姿から、母が子を思う気持ちが強く伝わってきました。
怯えることなく子供を看たいだろうと思いながら、私が道路に出ると車は止まってくれます。
いつものように道路の脇に仔猫を寄せようとすると母猫は察したのか、先回りしてここです!と言わんばかりに待っているのです。母猫が待つ先に仔猫を置くと、私に警戒しながらも近寄ってきて、母猫は優しく仔猫を舐めるのです。
顔についた血を舐め、体を綺麗にしてあげているので、私も一緒に撫でながら、いつものように供養をしておりました。
「ごめんね。人の過ちとして心から謝ります。本当にごめんなさいね。もっと生きたかったね。生きたかったらこの体使っていいよ。私の心の中には多くの仲間がいるから、寂しくないからおいで。一緒に生きよう。何かを見たければ、この眼を使えばいい。どこかに行きたければ、この足を使えばいい。今度は手もあるからね。寂しくないからおいで!一緒に生きよう!」
お経を読んで供養するのことできない私は、いつの間にかこのように語りかけながら撫でることが私なりの弔いとなっており、仔猫に話しかけていると母猫が舐めていないことに気が付きました。
すると、母猫はじっと座って私のすることを見ているのです。私を見ているので母猫の目を見ながら謝まりました。
そうしたら、どこからともなく「ありがとう」という声が聞こえるのです。母猫が心に直接届く不思議な言葉で“ありがとう”と語りかけてきたのです。とても懐かしい感覚の言葉で、以前にも経験したことのある感覚でした。
ミクが砂だらけの目を開いて語りかけてきた時と同じように、種族が違っても心と心を通い合わせることができるのだと確信させてくれ、あの時のことも子供の戯言ではなくて、確かなことだったのだと18歳にして再確認させてくれました。
この時の「ありがとう」は、母猫からだったような気もすれば、仔猫からだったかもしれませんし、ミクからの声でもあったようで、とても不思議な“ありがとう”でした。
【気づきと学び】
迫る車に怯えながらも、その場から一歩も退かない母猫の姿は衝撃的で、恐怖心よりも想う心が勝っているからできることであり、母猫から「想い」という強さと優しさを私は教わりました。
私が道路に出れば車は止まってくれるのですが、私が行くまでには何台もの車が道を避けて通り過ぎ、対向車がある時には止まっているものの、また避けて行くのです。あの光景を見て、私はどちらに心があるのか?と思いました。明らかに人の側には心はなく、母猫の方にこそ本当の心があったのです。
いろいろな死や別れの度に、いつも泣いてばかりだから自分は弱い人間だと思い、強くなりたいと思って、小学校の時には厳しい先生から声が掛かったのもあり陸上部からサッカー部に移籍し、中学では鬼コーチがいるとのことでバスケットボール部に入り、高校では陸上の格闘技と呼ばれるほど当たりの激しいスポーツと聞いたのでハンドボール部に入り、とにかく自分を鍛えようと小学生の頃からその学校で一番厳しいと言われる部に入るようにしておりました。
優しさというものを繊細でどこか弱わ弱わしく感じていて、自分はそんな心が弱いから、鍛えることで強くなろうとしてきたのですが、優しさは弱さではなく、優しさこそが本当の強さを持っていることを母猫から教わりました。
高校生の時、優しく素直なことは自分の良い点だと分かっていても、そのことが気恥ずかしくなり、みんなの前では悪ふざけしてばかりで、不良ではないもののタチの悪い生徒で、成績は下がる一方、トラブルはあるし、ここでは話せないほどの享楽的な人生を謳歌していたので、本当の自分と一番乖離していた時期でもありました。
強さを求めては間違って求めておりましたし、素直さが気恥ずかしく悪ぶっておりましたし、優しさや真面目さを隠すためにお笑芸人以上にバカを演じており、人気者であればいじめられる心配もないと思っていて、私は生きるということを見失いかけていた時に、この出来事があったのです。
この時点から私は変わりました!
今まで抱いてきた優しさは弱さではなく強さであり、素直さは脆弱なものではなく柔軟でしなやかなものであり、想いは臆病なものではなく勇気であり愛なのだと考えが変わり、これらがすべて揃うと、柔軟な強靭さを心に備えることになり、こういう心になりたいと思っていたのだと心の底から目覚めたのです。
私の心の中にある想いは、今まで看てきたみんなから贈られた宝物で、これからの人生に必要なことを贈ってくれていたことに気付いたのです。
そして、あの仔猫は生きたくても死を迎えてしまったのに、私はこの先も何も無く生きているのだろうと思うと、あの仔猫に対して恥ずかしく申訳なくなり、私はこの仔猫に誓いを立て、「後悔しないように生きよう!素直に生きよう!まっすぐ生きよう!自分らしく生きよう!」と人生に誓ったのです。
Episode:11
さらに気付きを与えてくれたのが、縁日の易者さんです。
実家の近くにある井草八幡のお祭りで人相占いをしていた人がおりました。
お祭り屋台の店じまいする頃になると安く売っているので、それを目当てに遅くに行ったのです。
目的の食べ物を手に入れたので家路を急いでいると、人相占いの人が声を掛けてきました。
「あなたの後ろには動物がいっぱいいる。興味があるからいらっしゃい」と言うのです。
私は占いなどには興味がありませんし、お金を払う気はないので、「信じていないし、お金もないのでいいです」と言って断ったものの、実のところは涙を見られたくなかったのです。
たとえ私には見えないとしても、自分の心ではそうである!と信じて、そうであってほしい!と思っていることを、私のことを全く知らないはずの第三者から言われたことで、「私の側にいるんだ!」「私と共に生きているんだ!」との嬉しさから涙が溢れてきたのです。
止めようにも、抑えようにも、自然と涙が溢れてくるので、急いで人目につかないところまで行きたくて小走りで立ち去り、その後に易者さんとは話をしてはおりません。
話してはおりませんが、言おうとしていることが伝わってきたのです。
私がいつもの供養でしている「寂しくないからおいで。一緒に生きよう」と言葉を掛けてきたことを、誰にも話していない私だけの秘密を、見える人には見えたのでしょう。
易者さんと話さずとも、私にはこの言葉を聞くだけで十分だったのです。
自分が動物たちには素直な気持ちで接し、本当の自分でいるにも関わらず、人との付き合いとなると自分を偽って、悪ふざけしていて、お笑い芸人を目指していたくらい明るく振舞い、自分ではない自分を演じていたのです。
ですから、学校の評価はいいはずはありません。世間の評価と自分の評価には大きな差があり、思い悩むことも多くありました。
人は見た目じゃないと思いながらも、心を偽っているから世間から違った判断をされるのであって、ありのままであれば、そのままの評価となり、思い悩む必要もないのだと気付いたのです。
誰から判断されるために生きている訳ではないし、誰かの評価を気にして生きていくものでもなく、動物たちと同じように、ありのままの自分でいいんだと、心の奥底を見抜いてくれた易者さんのお陰で分かったのです。
『大切なものは目には見えない。心の目で見なければならない』
心の目で見ることの大切さを知っていながら、人生で活かしていなかったのです。
動物たちとは素直に向き合い、後悔しないように付き合ってきたのに、自分とは素直に向き合っていなかったのです。
見えることばかりに囚われ、心の目でものを見る大切さを、動物たちから教わっていたにも関わらず、人生で活かしていないということは、あの子たちの命の教えを無駄にしていると思ったのです。
【気づきと学び】
第三者からの見えないものが見えたことにより確信に至り、心という天国でみんなが一緒にいて、私という人生を共に生きているんだ。
こうして生きているのは、自分一人で生きているのではなく、多くの者たちや見えない者たちにより、生かされていることに気付いたのです。
私は一人ではない。
みんなの命を受け継いで生きているんだと思うと、自分だけのものではなく、みんなのものでもあるので大事にしよう。
みんなの拠り所であるのなら、居心地の良いところにするべく、偽りのない心であろう。
命の与えられている限り、みんなの命を生きよう。
生きたくても死を迎えた者たちの分まで生きよう。
人としての器があるのだから、人としてもっと真剣に生きてみよう。
多くの命から教わったことを、この命で活かすことで、死を無駄にしないようにしよう。
命の教えを無駄にするのではなく、幸せになることで感謝しよう。
命の教えを活かして幸せになることで恩返ししよう。
不思議と人生が開けてきた感じがあり、人生という道がどういうものなのか見え始めたのです。
人生で必要な時に必要なことがあり、出会うべき時に出会う者がおり、起こるべくして起こり、出会うべくして出会っていて、私は一人で生きているのではなく、何者かに縁を与えれていることに目醒め、神仏など必要のない無神論者であったのですが、私を護り導いている私の守護者がいることを縁日の易者さんが教えてくれたのです。
「あなたの後ろに動物がいっぱいいる」とね。
一緒に暮らしている時だって幸せをいっぱい与えてくれた!私の人生の守護者だったのです。
今だって同じで、目には見えなくても、縁という目に見える見え方があり、よく考えれば運のいいラッキーな人間なのは、自分だけの運だけではなく、みんなの運を貰っているからかもしれませんし、みんなが護って導いてくれているから、運がいい人間なのかもしれません。
動物たちへの思いがあり過ぎるのではないか?
他の人と違い過ぎて異常なのではないか?
そんなことを気にしていたのですが、想いがあるのはいいことだし、何も恥じる必要はないのです。
むしろ、いっぱい想えることは、それだけ幸せをいっぱい貰っているから想えることで、幸せは外にあるものだと思い込んでおりましたが、幸せは私の内側にあり、心にこそ幸せがあり、この心があるということが幸せなんだと気付いたのです。
私を幸せにしてくれていたのであり、私は幸せを心に貰った幸せ者なのです。
こんな自分であることを人から評価されるのではなく、みんなから恥じない、誇らしい自分であろうと自尊心という、他を拠り所とせず、自らを拠り所とする生き方に変わりつつあったのです。
そして、今まで通ってきた人生には間違いなどなく、自分らしくなるために必要なことが与えられているのではないかと気づき始めた時期でもあります。
多くの命の教えを無駄にしてきたかもしれませんが、ようやく私は『幸福の扉』を開いたのです。
私の人生に、あやふやな神や仏は存在しませんが、あの子たちという守護者なら信じることが出来ます。
これが私の信仰なのでしょう。
Episode:12
ある時期からクラシックが大好きになり、何度かコンサートに行っておりました。
大好きな指揮者の来日コンサートがあり、バイト終わりに急いでホールに行くべくバイクを飛ばしておりました。
そんな時に、道路に小さなねずみが倒れていたのに気付いたのですが、コンサートに間に合わなくなってしまうので、心で謝りながら通り過ぎてしまいました。
駅までの道のりの間、「大好きな指揮者の来日コンサートだし」「いっぱいバイトして手に入れたプレミアチケットだし」「ちょっとでも遅れると映画と違って中に入れないし」と、自分の都合ばかりを並べて自己正当化しようとしていたのです。
私は自分の都合を優先すべく、自己正当化してねずみを見捨てようとしていた自分に気づき、『素直に生きる』『真っ直ぐ生きる』と誓った約束を破ろうとしていたのです。
これではみんなから教えてもらった命の教えを無駄にしてしまうし、そこに命があるという大切なことから目を逸らすことになるので、自分の素直な気持ちから、ねずみのところまで引き返すことにしました。
コンサートに遅れたって死ぬ訳ではありません。
ですが、あの子は死んでしまったのです。
私が気付いたのだから、私と出会ったのだから、私が看取らなくては誰が看取るのだ!と、使命感みたいなことからも、気持ち良く戻ってきました。
いつものよう供養してからコンサートに向かいましたので、開園時間には間に合わず、ホールの外にあるライブテレビを見ておりました。
ホール内ではなく、エントランスで聴いているこの感覚がとても心地よく、私はあの子のお陰でお金では買うことのできないものを得たような気がしました。
大好きな指揮者のコンサートはプラチナチケットだったのですが、私は貴重な経験をしたことから、もっと大事な、人生のプラチナチケットを手に入れたのです。
【気づきと学び】
あの日、あの時、あのねずみちゃんに会えたことで、みんなから教えてもらった命の教えを活かす事ができ、自分が変わってゆく実感が持てたのです。
自分のなりたいと思う自分に少しなれたのです。
出会いと行動が自らを創りだしてゆくことに気づき、今まで出会ってきた多くの子たちは、私が変われるチャンスを与えてくれていたのですが、私がその時々の状況を理由にして逃げていたことにも気付いたのです。
できないなら、できないでいいはずなのに、それを認めたくないからと、他に理由を捜し求めて、自分という心と向き合うことから逃げていたのです。
できないことから逃げてもいいですが、できることから逃げていては、何も変わらない。
自分に出来ることから、してゆけばいいんだ!と分かったのです。
大切なのはお金じゃない。頭では分かっていることですが、どこかでお金のことを大事にしているから、何かと理由を見つけて正当化していたのです。そういうことに気付き、そういうことから離れ、素直に生きるということができたのです。
心からの想いが大事なのであって、心で想ったことを行動にするという、真っ直ぐ生きるという実践をさせてくれたことで、とても素晴らしい生き方を手に入れたのです。
すべての始まりは出会いなんだ。
今までも、これからも。
人生は出会いと選択の連続で、別れと後悔を繰り返してきましたが、人生の選択肢を選ぶのは「今」であり、今という時を生きていないから後悔してきたことに、ようやく目覚めたのです。
過去の後悔に囚われて生きるのではなく、過去の後悔を素直に反省して学びに変えて、今を生きるようにする。
未来を先取りして憂いて今を生きるのではなく、未来を変える自由はいつも今にあり、今を生きることが未来になる。
今という時、今という所、今できることからする!という今を生きることに気付いたのです。
その積み重ねが過去になり、その先に未来があると。その間にある今という自由を与えられている人生の仕組みが分かるようになると、出会い・出来事というものが、とても不思議なことに思えるようになりました。
その時点では、なぜこんなことが起こるのか?そんなこと考えもしませんでした。
この時に、なぜ出会うのか?そんなことを思いもしませんでした。
人生というものは、必要があって出来事が起こるようになっているし、必要があって出会うようになっているもので、これから先の人生でも、多くの出来事や多くの出会いをするだろう。
それなら、これからの人生で起こる出来事を大事にしよう。
それなら、これからの人生で出会う者を大事にしよう。
人生で与えられることのすべてを大事にしてゆかなければならいと、人生を受け止めることができるようになったのです。
その事柄の善し悪し、好き嫌い、幸不幸ということから判断したり、選別するのではなく、人生で必要なこととして与えられているのだから、何であれちゃんと受け止めようと思えるようになったのです。
それには私に必要な何かがあるのだと人生から学ぶようになったのです。
そうなると、今までの自分というものは、与えられていた出来事から学ばず、与えられたことの善し悪しや、理由をつけて逃げ、人生から何も学んで来なかったのです。だから、何度も同じ過ちをするし、何度も後悔をしては辛い思いをしていたのです。
起こる出来事は良い悪いではなく、自分にとって都合のいいように、良い悪いを決めたいたのであれば、これから起こる出来事は、私の心のありよう次第で、私の頭の捉えよう次第で、いくらでも変えられるはずだ。人生は自分の心のままに、思いのままに、創造することができるんだとなったのです。
必要なことは人生が与えてくれる。
気付くか気付かないかは自分次第。
学ぶか学ばないかも自分次第。
変えるか変えられないかも自分次第。
こうして、生きるということに真剣に向き合えるようになったのです。
これもねずみちゃんのお陰です。
当時、うちの猫たちは外に出ておりましたので、多くの子たちが交通事故で亡くなってきました。
目の前で車に跳ねられるところを見たこともありますし、車に跳ねられて私の元までジャンプしながらたどり着き息を引き取った子もおりました。
その中でも奇跡的に助かった子もおります。
クロが階段を上がろうとすると奇声を発するので何があったのかと駆けつけると、下半身を引きずっているのです。その叫び声は心に突き刺さるほどで、痛みが伝わってくる鳴き声でした。
すぐに病院に連れて行くと骨盤や後ろ脚が複雑骨折しているとのことで、そのまま入院、緊急手術となりました。その後、3ヶ月の入院生活の間に大きな手術を3回もすることになり、家に帰って来た時には下半身はサイボーグのようでした。
骨盤はプレートで繋ぎとめていますので、背中からお尻にかけてプレートで補強し、足の骨はパイプや針金で繋ぎ止めたので、下半身は金属片でゴツゴツしておりました。
交通事故から唯一生き残った子で、獣医さんのお陰で歩けるようになるまで回復しました。
長期の入院と数回の手術費は大きなもので、まずは貯金を全部使い果たし、足りない分は両親や祖父から借りて、アルバイトを増やして返すことにしました。
緊急入院の翌日からバイトを1つ増やし掛け持ちで仕事をして、さらに夏休みに入っては日給の高い工事現場で日夜働きました。
バイトの面接では、「猫の手術費と入院費が必要なので働かせて下さい」と言うとすんなり働かせてくれ、現場でも一生懸命に働くものだから理由を聞かれると素直に答え、「猫のため」ということをみんなた応援してくれました。
この時の人の応援が私にとってどれほど大きな心の支えになったことか。
毎日のように仕事の合間に病院に行き様子を見るのですが、行く時は会える思いから足早になるのですが、帰りはいつも切なかったですね。手術の痕やチューブだらけで見ていると痛々しくて流れる涙を必死に抑え、帰り際には動けないのに動こうとして、私もクロも辛い苦しい切ない思いを共にしました。
私も力のある限り働いて費用のほとんどを自分で賄い、クロも一生懸命に生き抜いてくれたので歩けるようになり、お互いにできることを一生懸命に励んだことで、良い結果となりました。
この経験から、私は肉体的にも精神的にも大きく成長したような気がします。
やればできる。願いは叶う。想いは実現する。
そんな体験をしたのです。
自分のこととなると弱いのですが、動物のためなら…となると、こんなに自分はいろいろなことができ、こんなに必死になれることを知って、想いは力に変わることを知りました。
ずっと昔、力のない子供は嫌だと思い、早く力のある大人になりたいと思っていたように、いつの間にか無力な幼い自分ではなく、力のある自分へと成長していたのです。
【気づきと学び】
この時に私を応援してくれた多くの人たちが、私の心からの「猫のために」ということを馬鹿にせず、素直に受け容れてくれ、さらに応援してくれたことが、クロの命を助けてくれたのだと感謝しています。
何事も一生懸命にすれば、直向きになれば、道は開けて行くものです。
信念ある心からの言葉は相手の心に届き、馬鹿にされることなく、その想いが伝わっていたのでしょう。たとえ馬鹿にされたとしても、自らの心に依っているので揺らぐことはありませんでした。
この経験から、真っ直ぐに生きることの清々しさ、素直に生きることの安定感を学び、優しさは心を支える大きな力になり、優しさは他者に与えることでその者の力にもなることを知りました。
優しさというものは、自分のものだと思っておりましたが、そうではなく、優しさというものはお互いに共有するもので、誰のものでもないと不思議な感覚があり、愛が広がっていることを感じました。
優しさは心に響く言葉であり、魂に届く言葉であることを知り、人として言葉を使えるのだからと、人としての言葉を大切にしようとなりました。
想いを叶えるために必要な強さは心にあり、素直な心ほど柔軟で力強いものはないことも学び、もっと心を大切にしようとなりました。
心の中にあった想いを言葉にすることで想いは形となり、その想いの深さは強さとなり、その想いの純粋さはしなやかさとなり、想いは力に変わることを知りました。
祈りや願いは神仏によって叶えてもらうものではなく、想いを形に変えて、想いを力に変えて、願うこと・祈ること・望むことを、この身で実践することで、願いは叶う姿を現わすことを学んだのです。
願いや祈りがあるのなら、神仏に願わず、自らの心を信じ、自らの身でもって叶えればいいと、人生を創造することに拍車をかけた出来事となったのです。
Episode:14
高校ではとても目立つ生徒であった私は、当時お笑い芸人になろうと思いコンビを組んでいた相方がいたくらいですから、高校卒業したら誰かの弟子になるつもりでおりました。
ですが、Episode10にある仔猫の死から私は生き方を変え、成すべきことのために大学進学しようとなりましたが、全く勉強をしてこなかったので浪人することになります。
生き方を変えたにも関わらず、勉強というものにぜんぜん身が入らず、適当な浪人生活をしている頃に、私の命の恩猫である「たま」が亡くなろうしていました。
もう長くはないだろうから、ずっと一緒にいることで最後を看取り、たまの命のすべてを受け止めてあげ、私にできる最大の感謝とするべく、勉強しなければならないのでしょうが、私は猫とずっと一緒にいることを選びました。
勉強もしないで猫と寝てばかりいるので、だらしない生活に見えるのでしょう。
両親からは叱られ、兄からは注意され、いろいろと言われましたが、「絶対に大学に合格するから、俺を信じて、今は自由にさせてくれ!」と説得して、たまの最後の瞬間まで片時も離れず、別れを迎える覚悟でおりました。
たまの最後はやすらかなものではなく、とても苦しいものでした。苦しそうな声で痙攣しながら鳴き、じっとしていられないのか起き上っては倒れ、倒れては痙攣を起こす繰り返しでした。
見守る・看取ると決めていて覚悟はあるけれど、見ているだけは辛いもので、声を掛け、撫でることしかできず、たまが苦しんでいる時に、私は何も施してあげれない無力さに苛まれました。
たとえどんなに無力であって、側にいると決めたのだから、たまの生き様のすべてを見届けるべく、いろんな涙を流しながら、いろんな話をしながら、よく撫で、よく思い、よく祈り、自分にできるすべてをしてきました。
たまが最後を迎える時、ラジオから流れてきた曲がチャイコフスキーの「偉大な芸術家の思い出」という曲で、とても悲しい旋律で、死に行くたまの姿と相まって、涙が止まりませんでした。
涙を流しながら精一杯の感謝を込めて、たまを強く抱きしめながら、最後の時を看取りました。
私にとっては、たまは偉大な教師であり、自殺を思い止まらせてくれた命の恩猫で、あのシッポの振りは偉大な芸術家以外の何者でもなく、あのシッポは指揮者のタクトのように思え、偶然にも流れている曲がたまに相応しいもので、私の珠玉の名曲となっていおります。
私はたまがいなくなって抜け殻のような生活をしており、食べる気も、寝る気もなく、ただ茫然と過ごす毎日で、何日間そうしていたのか憶えていないほど空虚な日々を過ごしておりました。
このまま勉強しないで大学に入れなかったら、たまの死の所為にされてしまっては嫌だから、命を与えてくれたたまのためにも頑張ることにしたのです。
すると不思議なことに、偏差値35(言うのも恥ずかしいですが)に満たない私が、たった2ヶ月で偏差値60を超えて安定するようになったのです。
自分には向かない・できないと思っていた受験勉強も、やればできると分かってしまい、受験勉強なんて意味のないものに価値を見出すことができず、「どんな大学に入る」のではなく、「大学で何をするか」と考えるようになり、自分の好きな動物たちがいる動物園に近い大学で、部活と読書に明け暮れ、社会人になるまでの自分創りの準備期間として大学に進学しようと考えたのです。
ということで、どこの大学にするかではなく、動物園に近い大学という進路を決めた時に、高校時代の友人と街で出会い、近況などを話していると、「そう言えばさぁ。ハルは動物好きだったよね〜。俺の大学さ、駅の目の前が動物園なんだよ。うちに来れば?」との話から、学力とは無関係に明星大学と進路を決めたのです。←バカですよね!
余裕の合格圏の大学ですから試験ばバッチリ!
面接で入学の理由を聞かれ、素直さを大事にしてきたので、素直に「動物園が近いから!」と志望理由を答えると、「ふざけるなぁー!!」と怒られました。
ですので、真面目に動物園が近い理由を説明したのです。
「将来は動物関係の仕事に就きたい上に、できれば卒業後は海外青年協力隊としてアフリカで自然保護・動物保護をしたいと思っているので、そのために近道として、動物園でアルバイトをしながら、将来の道を模索するには、動物園に違い大学が効率的だと考えたからです」
というように、きちんと道筋立てて話したのですが、バブルの絶好調の時代でしたからね。面接官から卒業して会社に属さないとは何事か?と私の将来を否定されました。
否定されたものだから、もう一度説明しようと試み、「卒業してすぐに会社に入社するのではなく、景気が良いのであれば、あえて入社せずに日本を離れ海外に行き、広い視野から日本を世界を見てみたい」と、ちゃんと説明したのですけどね〜。
偉そうに言うものだから、気に触ったのですかね。「いい加減なことを言うな」と怒られ説教の始まりです。
「この景気のいい時に就職しないなんてどうかしている。海外に行ってボランティアなんてしていた人間を企業は求めていない。即戦力になる人材を求めているのであって、君のような甘い考えでは立派な社会人になれない…」と話は続き、私も我慢の限界です。
この後は、面接官と口論となり、両隣の面接官が仲裁に入り、不合格となりました。
そこで、もう一つの学部を受けていたので、猫から学んだ命の教えを活かして、面接では“猫を被って”マニュアル通りの受け答えで、すんなりと合格です。
猫、様々です。
【気づきと学び】
何事も望みに適うように努力すれば、その結果として、願った通りではなくても、今できることを精一杯することで、後悔の少ない生き方ができるのです。
ずっと昔にミクのことで願いが叶わなかったと、神様に心から出て行ってもらいましたが、願いとは叶う叶わないではなく、その過程にこそ大事なことが隠されており、結果だけを求めようとする心の方が浅はかだったことに気付きました。
ちょうど浪人している時であったので、時間が自由に使えたこともあって、命の恩猫の最後をきちんと看取ってあげることができたのですが、これもみんなに護られていて、この時であるようになっていたのでしょうね。
私は今まで自分で生きてきたと思っておりましたが、多くの周囲の人たちに支えれ、助けれていたのであり、周囲のいろいろなことに感謝できる人になってきました。
なによりも、いつも時に導かれ、縁を与えられ、見えない姿になっているけれども、みんなは私と共に生きていて、私を護ってくれていることへ、感謝できるようにもなりました。
こうなってくると、この先の将来というものに不安はなく、いつもみんなのことを想っているから、みんなもそれに応えて護ってくれるから、人生はどうにかなる!という安心感に包まれています。
人生では必要なことが与えられるように、必然として起こっていることがあり、何者かに導かれ護られ、縁を通じて贈り物をしてくれているのではないかと思えるようになり、身の周りに起こるいろいろなことに感謝の気持ちを持つようになったのです。
そして、私の心に宿るみんなが時を司り、導きを与え、護ってくれているので、死は別れではあるけれども、その後にも続く姿があり、見えないけれども、愛情を交わし合っているから、生前だけの愛ではなく、死後も含めて愛せるようになったのです。
また、共に暮らした期間が長い・短いとか、うちの子・そうでない子とか、人間・その他の動物という種族の違いなど、愛は違いや境を越えるようになるにつれ、さらに愛は広がってゆき、出会いや別れ、生と死という越えられなかった境をも越えられるようになり、この命の姿ある限り、愛情という絆で結ばれた絆は切れることなく、想いがすべての始まりになると気付いたのです。
人生において不思議な如く導きがあり、何者かが縁を与えてくれているように、目に見えることだけがこの世のすべてではないと、さらに多くの事柄を受け止められるようになれたのです。
人生においては、良いこともあれば、悪いこともあるのは当然のことですが、良い事があればみんなが導いてくれたこと、悪い事があればこれくらいで済んだとみんなが護ってくれたこととして、人生に起こるすべてを前向きに受け止められるようにもなれたのです。
我が家に勝手に入ってきて、家猫たちの残り物を食べていた猫がおりました。
お腹が少し膨らんでいたので、赤ちゃんのためにも栄養を取らないとなりませんから、母猫としては危険を顧みず、勝手に上がり込んでご飯を食べていたのでしょう。
私は家に入ってきていることを陰ながら見ており、ご飯の残りがない時には近づいて追加してあげていたので、少しずつ慣れてきたこともあり、抱っこできるまでになりました。
初めて抱っこできるようになってから2日目のことでした。
その日はやけに近くにすり寄ってきては、変な感じの声で鳴いており、たまに吐いておりましたが、夜が遅いこともあり、明日になったら病院に連れて行って検査してもらうと思い、そのままベッドで一緒に寝てしまいました。
朝になると母猫の姿が見えないので、どこに行ったのかと思いつつ階段を下りると、玄関で倒れて亡くなっていました。せめて、仔猫だけでもと思ったのですが、すでに手遅れでした。
お腹に仔猫を抱えながら苦しんだかと思うと心は張り裂けそうになり、涙が止まりません。
調子が悪いことを訴えていたのに、気付いてあげることができず罪悪感が残ります。
数日後、近所の家で猫を殺す薬を使ったらしく、野良猫が死んでいたとの話を聞きました。その薬を使用した日と猫の様子が変な日が一致しているので、確証はありませんが、たぶんこの薬のせいで亡くなったのだと思います。
薬を使った人への怒り・恨みはもちろんですが、そういう薬があるということへも怒りを覚え、このやりきれない衝動をどうすればいいのかと戸惑います。
薬を使った家の住人は、私が挨拶しても返事をしてくれない人でした。盆栽が趣味で庭にいっぱいありましたから、もしかしたらうちの猫たちが庭に入って迷惑を掛けていたから、挨拶しても返事をしてくれないのかもしれない。猫が庭に入ってくるのが嫌で薬を使ったのではないかと思いました。
そうだとしても、殺さなくてもいいのではないかと疑問を持ちますし、猫が死んだのはあの人の所為だと思うと怒りがこみ上げてきます。
ですが、なんの確証もありませんので、疑いから人に怒りを抱くのもどうかと思うと、変な気持ちで嫌な感じの別れとなってしまいました。
昔のミクのこともあり、命を殺める人間に対して恨みがありますが、私もそんな同じ人間である思うと気分が悪くなります。自分は動物が好きで動物保護もしているから善い人間だと偽善者ぶっているだけで、迷惑を被っている者からすれば、排除しようとしただけで、殺そうとまでは考えていたかったのではないか?
いや、猫を殺すような薬があり、それを販売しているということが、そもそもおかしなことなのではないのか?
自分だって野生の生き物から身を護るとしたら、同じようなことをするのではないかと思おうと、人間という生き物はいったい何者なのかと、答えの見つからない堂々巡りの思考をするだけで、とても後味の悪い気持ちだけが残ったことを忘れません。
【気づきと学び】
ずっと前から人間であることが嫌でした。
猫であったらどんなだろう。他の動物であったらどんなだろう。と想像しておりました。
そんなことを想像していると、決まって同じ疑問に突き当たるのです。
なんで人間に生まれてきたのだろうか?
どうして地球に人間がいるのだろうか?
人間ってそんなに偉い生き物なのか?
そんなことばかりを小学生の頃から考えてばかりおりました。
この時期になると、
どうして私は人間に生まれ、生まれてきた意味は何なのか?
人生はこのような経験をさせて、私に何を学べと言っているのか?
というような答えの見つからないことを考えておりました。
ですが、この母猫の毒殺により、私は人生の先を見たような気がしたのです。
『人の力は、命を奪うほどの力があるが、命を救うほどの力もある』
猫で迷惑している人の立場になってみれば、確かに迷惑で困っているのですから、なんとかしようと思うのは当然のことです。私だって同じ立場になれば、命までは奪いはしないが、何かしらの対策を講ずるでしょうから、人を責めることができないのです。
静まらない怒りという感情を相手にぶつければ、私も同じく命を奪う力があるのです。
同じ人間だから、悔しいけれど、そういう力が自らの内にあるのです。
小さい頃に思っていた、どうしてこんな人間に生まれてきたのだろうか?このままでは私の嫌いな大人になってしまい、猫が道路で轢かれていても平気な大人になってしまう。
子供のままでは力ななく無力だから、早く力のある大人になりたいとも考えていたことを思い出し、そうだ!どうせ人間なんだし、どうせ大人になるんだから、このままの気持ちで大人になって、私の嫌い人間にならなければいいと気付いたのです。
人生は、私に自分が嫌いな人間になるな!
人生は、私に自分が嫌いな大人になるな!
この悲しい出来事から、そんなことを教えてくれているのではないかと思い、伝えようとしていることが薄っすらとですが分かってきました。
このような経験から、私を護る者たちは、同じ人間としての力があるのだから、その力を命を殺める方向に使うのではなく、その力をより良い方向へ使うように、学びの機会を与えているのではなかろうか。
私に何かに気付け!早く目覚めろ!と言わんばかりに、私の心の成長に応じていろいろな出来事が起こるので、人生は私に何かを伝えようとしているのではなかろうか。
そうだ!この命を動物たちのために使おう!
同じく大人になるのであれば、人と動物が調和して暮らせる社会の為に、大人になって力を使おう!
今まで人生で経験してきたことは、この為だと思うと、妙に納得することが多く、私は動物たちの為に何かを為すべく命を授かってきたのではないのかと気付いたのです。
だから、小学6年生の時、猫に命を救われ、死ぬなと生かされたのです。
大人という社会は経済活動に従事しているから、大学で経済を学ぼう!
動物保護や自然保護には資金が必要だから、その支援ができる会社を設立するために経営を学ぼう!
人間と動物と自然が調和するには、経済と社会を知り、その社会の中で影響力のある人物となり、私の想いを形にしよう。そのためには、経済・経営・社会・心理学が今の私に足りないから、想いを現実にするために、この身で叶う努力をしよう!
こうして、私はようやく人生と呼べる生き方を見つけたのです。
私という存在のあり方を見つけ、本当の自分を見つけたのです。
大学も決まりましたので、入学まで引越しのアルバイトをしておりました。
近所のOLさんからご飯を貰っている野良猫で、私が会社でお昼を過ごす時には、お弁当を一緒に食べたり、コンテナの上で一緒に昼寝したりしていた猫がおりました。
この日は早朝5時出勤でしたので、目を擦りながら歩いていると、道路に見たことのあるような猫が倒れています。まさかと思い近づくと、やっぱりあの子でした。
いつものように看取ってあげようと歩道を出ると、後ろから猛スピードでタクシーが走ってきて、私は避けたのですが、猫は避けることはできませんので、タクシーに轢かれてしまいました。
轢かれた勢いで遺体が浮き上り、地面に転げる様子を目の当たりにして、私の感情は怒りで制御することができず、奇声をあげて電柱を殴りました。
怒りと悲しみ、電柱を殴った手の痛みから、体の震えが止まらずブルブル震えながら、街路樹の下に移動して慰めました。
「最初に撥ねられた時だって痛かっただろうに、亡くなってからもまた轢かれるなんて辛いよね。酷いよね。その痛みや辛さはこの手の比じゃないだろうけど、きみの痛みを分かち合うから少しでも安らかで居てね。僕の心においで!一緒に生きよう!友達がいっぱいいるから、寂しくないからおいで!もし、いい人に出会えたら最後を看取ってもらうんだよ。そうでなければ、仕事が終わったら迎えに来るからね。一応お別れだね。」とお別れをして仕事場に向かうべく、その場を立ち去りました。
電柱を殴った右手が腫れて蒼くなり、手首は異常な形をしていて、手が酷く痛むのですが、それ以上に心はもっと痛くて涙が止まりませんでした。
泣きながら出勤するものですから、仕事先の人たちが心配してくれるのですが、「大丈夫です。何でもないです」と言って、仕事が始まるまでトイレでいっぱい泣きながら、右手を冷やしておりました。
朝の出来事は誰にも話さず、右手をガムテープで固定してタオルで隠すように縛り、何事もなかったかのように振舞い、迷惑をかけてはいけないと、いつもと同じように仕事をしました。
ダンボールを運ぶ時には腕を支えにして運べたものの、タンスや冷蔵庫となるとそうもゆかず、あまり動かない手を使い、腕で支えて運ぶものの、激痛と異常な汗ほどの汗が流れます。
「こんな痛み、あの子の痛みに比べたら…。今まで看とってきた子たちだって、これ以上の痛みと闘いながら死んでしまったんだ!生きている俺がこれくらいの痛み乗り越えなくてどうする!」と、目に涙を浮かべながら、気合と根性を使い果たし、何とかその日の任務を果たしました。
仕事を終えて事情を話し、異常に変形している手を見せて、翌日から仕事ができないことを告げ、猫のいる街路樹の元へ急ぐと、遺体はそのままになっていました。
商店街で駅までの人の通行の多い歩道にも関わらず、私と一緒に帰りたいと待っていてくれたのかな?と思い、タオルで遺体を包み、バッグに入れて、電車に一緒に乗って帰宅しました。
この頃になると、こうして道路で亡くなっている猫を自宅に連れ帰り、うちの子としてペット霊園で火葬してもらい、合同供養塔に埋葬してもらっておりましたので、私が亡くなった猫を連れ帰るのはよくあることだったのです。
自宅に帰ると、母親が出迎えてくれたので、「猫連れ帰ってきた」と言うと、「生きてる子、それとも亡くなっている子」と聞かれ、「今日は亡くなっている子」と答えます。
変な会話ですが、私がよく猫を連れ帰ってきていて、家猫として暮らしている子は当時8匹で、家猫として送り出した子は数えたことがありませんが、ずいぶんとおりましたので、こんな会話が成り立っていたのです。
いつもそうなのですが、私自身はけっして強くはないのです。でも、亡くなった子たちの生き様を考えると強くもなれるし、いくらでもパワーが湧いてくるようで、小さい体のどこからエネルギーが湧いてくるのか分かりませんが、けっこう凄いと思うことを成し遂げてしまうのです。
この時も、右手の指4本の打撲と骨折・捻挫、手首の骨が2本出ている異常な状況で、引越しの仕事をしていたのですからね。
【気づきと学び】
この経験から気付いたことです。
今までのみんなは私が想い(魂)を引き入れてきたから、今も心という天国で私と一緒になって生きているから、みんなのことを想うと力が湧いてきて、私を助けてくれているのだと思ったのです。
運がいいのも、みんなの運をもらっているのだろうし、バイタリティーがあるのも、みんなの命をもらっているからなのです。
私は一人で生きているのではなく、みんなと共に生きているので、私の想いにみんなが応えてくれて、内側から力が湧いてくるように、私に力を貸してくれているのです。
「人」という字は、人と人が支え合うように形象されておりますが、私という人間を構成している「人」の字は、私が自立して人生を歩めるように、陰ながら支えてくれているのです。
私は一人ではないのです。
姿は見えないけれども、いつも私を応援してくれる不思議なパワーがあるように、私の中から力を与えてくれるのです。
現実には、死んでしまって会うことはできませんが、心の中で私となって一緒に生きているので、私には見えないけれども、あの縁日の易者さんには見えたのだろう。
大切なことは目に見えない。
心の目でみることがいかに大切なことかと理解したのです。
そして、見るだけではない、感じることの大切さを実感したのです。
また、見えなくたっていい、私が信じればいいのだから。
病院での別れもありました。
ちょっと様子が変で寝てばかりいるし、ご飯も少ししか食べないし、下腹部がちょっとタプタプしているので腹水かと思い病院に連れて行きました。
診察時間終了間際に駆け込んで診てもらったのですが、「今日は時間もないことだし、一晩預かって明日検査しましょう」と先生に言われたので、「腹水で調子が悪いはずだから、ちゃんと診てほしい。できれば水を抜いて欲しい」と、普段観察している様子などを話して懇願するものの、「素人判断は避けるべきだ」と取り合ってくれませんでした。
「この様子なら大丈夫だから、明日にしましょう」と説得され、病院に入院することになりました。
実家は米屋ですので早朝にも配達の電話などありますので、珍しいことではないのですが、この電話のベルの音には不吉な予感がしたのです。
母親に電話が誰からか聞くと、病院からの電話で、猫のさんぽが亡くなったとの知らせでした。
診察時間前に来てくれと言われたので、自分で車を運転して母親と一緒に迎えに行ったのですが、病院に近づくにつれて足取りは重たくなり、病院に入る時には、母の後ろをトボトボと歩いておりました。
二十歳の大学生なのに、挨拶の一つもせず、さんぽの遺体を抱きながら、先生の「腹水が原因で〜が急変し〜が異常な数値になって〜したが、朝気付いた時には亡くなっていた」という話は上の空で、こんなところに居させたくないとの思いから、母親に後のことを任せてすぐに病院を出ました。
「ごめんね。気付くのが遅くて。病院になんて行きたくなかったのに、強引に連れてきてしまって、本当にごめんね。ひとりにさせてごめんね。遅くなったけど、お家に帰ろうね。」と車の中で泣きながら声を掛けました。
翌日に亡くなるのであれば、どうして一緒にいてあげなかったのか!と後悔するばかりで、獣医の話しなど私には関係なかった。
原因がなんであろうとも、亡くなったしまったという事実は変わりなく、私の意見を聞いてくれなかったことに対する先生への怒りよりも、自責と後悔ばかりで他のことはどうでもよかった。
このあたりから、いっぱい泣くことはあるものの、ある一線を越えたような感じがあり、あまり深い悲しみにならなくなっていたのです。
【気づきと学び】
あまり深い悲しみにならないのは、心の中で一緒に生きていることを実感しているからです。
この日の深夜、私が珍しく仰向けで寝ていると、胸のあたりが重たくて、さんぽが私の上で寝ていると思い、「さんぱ〜重たいから、ちょっと下りてよ」と声を掛けて、胸の上にいるさんぽをどかそうとしたのですが、そう言えば、さんぽは入院しているんだっけなぁ〜ということがあり、早朝の電話の前には私のベッドで寝ている姿を見たというか、感じたというか、そんなことがあった直後の電話だったので不吉な感じがしたのです。
さんぽは散歩が大好きな猫だから、その名前が付いたように、亡くなった後、私のところまで帰ってきていたのです。
私がさんぽの重さを感じたのは3時半で、病院では2時に見回った時には生きており、4時の見回りの時には亡くなっていたとの話でしたから、魂は体から離れ自由になり、きっと散歩しながらうちに帰ってきたのでしょう。
病院でひとりにさせてしまったとの後悔の思いはそのまま残っているものの、病院にいても、家にいても、さんぽのことを想っていたことには変わりがないので、離れていても、近くにいても、同じ想いに変わりはありません。
さんぽのことだから、亡くなってすぐに家に帰って来たのではなく、あの子らしくちょっと散歩してから帰って来たことでしょうけれども、体を離れれば魂は自由なのですから、さんぽの心は私のもとにあったのです。
病院に迎えに行ったのは、さんぽの亡き骸であって、さんぽの魂は私と共に生きている。
悲しいのは、体重9キロの体格の良さと、長が〜いシッポのかわいい姿に触れられないことで、魂は私の心と共にこの先も一緒になって生きて行けるので、悲しみの質が異なる経験をするようになっておりました。
この後の大学生活で、精神は肉体を支配し、肉体は精神に影響を与え、心を養うことで精神と肉体を一つにして、自らの望む未来や願いが叶うように、道に沿った努力をすることで、心からの想いは現実になることを学び、結果は後から必ずついてくる、心の枠を取り外すと世界は広く自由であることを知ったのです。
在学中はひたすら読書をして心を耕し、少林寺と空手、キックボクシングに異種格闘技で徹底的に体を鍛えあげ、なりたい自分になるべく努力を怠らず、自分創りに励んでおりました。
宗教の本を読み漁れば、信仰も無宗教も想いは同じであるにも関わらず、同じ頂上に行く道が違うだけで、私が子供の頃から積み重ねてきた考察が本には記されており、スピリチュアルな本を読み漁れば、出会いや別れから私が人生から学んできたことが本に記されているので、私が歩んできた道は間違いがなかったことを再確認するべく読書をしてきたような気がします。
身体を鍛え、心を磨き、あの子たちの穏やかな拠り所を居心地のよいところにすべく、今という時を大切にしながら、精一杯に自分という器(横田晴正)を養ってきました。
今までにあった苦しいことや辛いことは、すべて今の自分になるために、いづれの未来の自分になるために、必要なことが人生で起こっているのだから、人生で起こりうるすべてを受け容れよう、そこから大切なことを学ぼうと、学生生活の4年間を謳歌してきました。
私の人生にとって、大学生活の4年間は、社会人になるための猶予期間として必要な時間であり、多くのことを学び、多くのことを経験し、人生に必要なことを得ることができた最高の青春時代と言えましょう。
これも、たまの命が導いてくれた縁で、私にとって、たまはいつでも命の恩猫であり、素敵な守護者なのです。
Episode:18
18歳の時に人生に誓いを立て、将来を見据えたビジョンは、動物保護や自然保護には資金が必要だから、そのために資金団体を設立すべく会社を立ち上げよう!と決めたのです。
経済の仕組みの中に、自然保護を組み込むべく、経済を学ぼう。
会社を設立して、利益の一部を動物保護に使うべく、社長になるために経営を学ぼう。
その為には、大学に行く必要があるから、進学しよう。
そして、大学を卒業したら販売業で、経済の先端で消費の動向を知るべく自分に5年間を投資しよう。
次に、転職をして広告代理店で、ゼロから物を生み出すスキルを備えるべく自分に5年間を投資しよう。
トータル10年を自分に投資して、その後、自らに備えたスキルでもって独立しよう。
この10年あれば、物を売るスペシャリストになれるし、物がなければ創造するスペシャリストになれ、この2つのスキルがあれば、社会でビジネスできると18歳の時に考えたのです。
18歳の時に見据えた人生を歩むべく、大学進学、卒業後は販売業をすべく入社。
「動物と人がより良く暮らす」は人生のテーマですからね。ペット用品の販売をすることで、ペットと飼い主との間を取り持ち、幸せになるべくお手伝いをしながら、ビジネスを学ぼうと販売業をしてきました。
バブルははじけて景気が悪いにも関わらず、私がオーナーとして赴任しているペット用品は右肩がりで、海外からも視察がくるほどの日本一の繁盛店でしたが、人生の目標を叶えるべく、次のステージに歩むべく転職しました。
「自然と人がより良く暮らす」は人生のテーマで、卒業論文は自然環境問題でもありましたからね。
広告という影響力を利用して、企業イメージと自然保護を一つにして企業に働きかけることで、他人の資金を使って自分のしたいことを叶えられる広告会社は素敵な会社で、様々な会社にアイデア一つでビジネスプランを提案できる代理店は、私にとって最高のステージで、天職と思っておりました。
言えないこともいっぱいありますが、今では生活の一部になっておりますが、凄いことを発案して、プランニングしてきたのですよ。。。
このまま、多くの企業が私のことを買ってくれて、私の顧客となっていれば、この業種で私は採算のある独立・起業することができると判断したので、会社を利用しながら独立の為の個人的な顧客獲得をしておりましたので、他の営業マンとは異なりました。
企業に利益をもたら営業マンでしたから、不況とは関係なく私の売り上げ(利益はもっと!)は絶好調でした。
そんなビジネスマンとして勢いのある時の夏休み、妻の実家に向かう途中に道路の真ん中でタヌキが倒れておりました。
いつものように車を止めて、タヌキを移動してあげて、私なりの弔いをしておりました。
いつもと異なり、この日は何故か涙が止まりませんでした。
実は、大学に入ってすぐに一目惚れした女性がいて、在学中その人と交際していて、卒業後すぐに結婚しました。
その妻の実家がお寺なのです。
これからお寺に行くのに、お寺さんとご縁があったのに、私は未だにお経を挙げてあげられない。
ビジネスとしても人生は予定通り進んでいて、業績も絶好調で、このまま行けば起業できるとの思いがあったのですが、このままお経が読めないままでは、これはいつの日にか「後悔」になる!
後悔しない人生を歩んできたのに、このままではいつか後悔することになるし、今だってお経が挙げられなくてごめんねと言っているだけの私。
そう思ったら、悔し涙が溢れてきたのです。
このままお寺に連れ帰っても迷惑だろうし、お経挙げてほしいと頼んで断られたらどうしよう…との思いもあり、私の実家であれば連れて帰ってあげられるのに…と思うと、また涙が溢れてくるのです。
涙を拭い、普段通りに何事もなく振舞っておりました。
その晩、義父と晩酌をしていると、「息子たちがお坊さんになりたがらない」と話すので、「世の中は難しいものですね。お寺に生まれてお坊さんにならない人もあれば、一般の家に生まれてお坊さんになれない人もいるのですから」と、今日の出来事や今までの人生であったことを義父に話し、この仕事をしているのも18歳の時に決めたビジョンで、「人間と動物・自然がより良く暮らせる社会のために」という想いから、この命を使っていることを話したのです。
すると、「そういう人間こそがお坊さんに適している。そういう人がお坊さんになるべきだ」との言葉をもらい、「坊さんなります」「おお、そうすればいいさ」と勝手に二人で盛り上がりました。
その後、義母と妻に報告すると両者から反対されました。
義父は奥様から、「息子が2人いるのに何考えているの」「こんな小さなお寺でお坊さんになったって生活できる訳ないでしょ」というように反対され、私は妻から、「お寺生まれでいろいろあったからお寺は嫌」「サラリーマンの妻がいい、今の状態がいい」というように反対され、先ほどの盛り上がりは無かったことになりました。
その後、半年ほどが経過して、夜遅く帰宅すると妻が起きて待っておりましたので、「寝てなかったの?」と話すと、ちょっと話しがあるとのことです。
妻:「ねぇ、本当にお坊さんになりたいの?」
私:「うん。たぶん小さい頃からなりたいと思うことだよ」
妻:「なっていいいよ」
私:「いや、二人で一つの人生と決めているから嫌なことはしないし、
この道を進んでも至る所は同じ場所だから、
別にお坊さんでなくても辿り着くから大丈夫だよ」
妻:「それは分かるけど、そうじゃなくて、私には理由がない」
「お坊さんの妻が嫌な理由がない」
「あなたにはお坊さんになる理由がある。
なりたいことをさせてあげられなくては妻として女が廃る」
「だから、お坊さんになっていいよ」
という話があり、会話を重ね真意を得たので、翌日会社に出家します!と辞表を出したのです。
動物たちの為にお経を挙げられる人になりたい!ただお経が読める人なのではなく、きちんとしたお坊さんになりたい!と出家することにしたのです。
義父のお寺(長福寺)は小さく、お寺では暮らせないので、高校の先生を普段していることもあり、さらに息子さんが2人おりますので、私はただ単に、自分の生き方として僧侶という道を歩むべく、出家することにしたのです。
Episode:19
お経というものには、何らかの力があるから、これまで支持され存続してきたもので、この2500年という歴史に淘汰されることなくあり続けていることだけでも、お経には大いなる力があると思い・憧れ、僧侶になるべく出家を致しました。
修行寺で修行する者に、「動物たちのためにお経を」ということは、まず考えられないことでしょう。
ほとんどがお寺の子息であり、お寺の関係者で、将来はお寺を継ぐという理由から出家しているので、私のような人間は異質なのかもしれません。
修行寺の住職である御前様に面会した時、素直に私の気持ちを述べたら、「それで、ええ。志あることが坊さんじゃ!」と修行の許可がおり、「用意ができてら、上山せい!」と勧めてくれました。
修行中の最初の3ヶ月間は禁足といって、修行寺から一歩も出ることができず、音信不通の期間でもあり、親が亡くなっても家に帰ることは許されません。
そんな禁足が明けて、妻から初めての手紙が届きました。
その手紙の中で、実家に残してきた猫たちが亡くなったことが記されておりました。
交通事故に遭って下半身がサイボーグのようになっても復活をしたクロと、半年間行方不明になり声を失っても帰ってきたジュニアが亡くなったということでした。
修行中はプライベートな空間などありませんから、同期の友人に鐘を突く当番を代ってもらい、鐘の音が響く間だけ、鐘の下で大いに泣き、手紙を読みながら鐘を突き、またその間いっぱい泣きました。
そして、この鐘の音が天まで響けとばかりに、最後の鐘に想いを込めて突いて、また修行に戻りました。
心を新たにして、翌日のお経はクロとジュニアを供養すべくお経を挙げようと決め、今までの感謝の気持ちを心からお経に託して捧げたのです。
すると不思議な事に、この日のお経はこれまでのものとは異なり、とても清らかで、安らぎがあり、切なくあるものの何故か心地よく温かったのです。
昨日まで経本の字を追うようにして読んでいたお経が、この日は自然と読めて、一緒に過ごしたことなどを思い出しながら、お唱えすることができたのです。
これが、この清らかさが供養なのだと、クロとジュニアは私に教えてくれたのです。
修行寺に入ってからというもの、お寺育ちでないだけに知らないことばかりで、皆に追いつくことがやっとで、心にはゆとりなどなく、一日一日が自分のことだけで精一杯の状況でした。
自分から好きで修行にきたにも関わらず、修行させられているかのように思い、修行が辛く感じることも多々あったので、いつの間にか時間をただ過ごすことになっており、今日一日が終わることに安心するというようになっていたのです。
あの子たちが亡くなったことを知らず、私はそんな無意味な時間の過ごしいたと思うと情けなくなり、あの子たちが生きた一日一日のように、私も今のこの一日を大事にして、さらにこの瞬間すらも大切にしようと、限られた空間で、限られた時間の束縛された修行寺という観念から心新たになったのです。
一日が精一杯なのではなく、常に精一杯であろう。
ゆとりなどなくていい、修行なんだから。
ゆとりが生まれたら、その分さらに修行に励もう。
この限られた空間と時間が今の私の世界なのだから、
この中でどう生きるのか試してみよう。
好きで出家したんだから、
前向きに大いに修行を楽しもう、そして学びあるものにしよう!!
そうして修行し始めると、いろいろなものが輝きを放つようになり、自分を取り囲んでいる世界が美しいものへと変わっていったのです。
ただ過ごしていた毎日やありきたりの周囲の環境は日々異なり、毎日が発見の連続で、人生経験を豊かにする材料に事欠かないほど、修行生活は大いなる輝きと実りを与えてくれたのです。
この年になって、これほど充実した時を過ごす。
いや、時を生きたと言えるほど充実した修行となれたのも、あの日、あの時、クロとジュニアの兄弟猫が亡くならなければ、こんな気持ちが訪れることはなかったと考えると、あの子たちは立派な僧侶になれるように命でもって教えてくれたのだと思います。
私が私になれるように、いつも多くの命が私を支えてくれているのです。
Episode:20
私は自分だけのために僧侶になるのであって、お寺を継ぐために出家した訳でもなく、自らの生き方として選んだ道で、修行が終わったら、家族を養うためにまたサラリーマンに戻るつもりでおりました。
会社から辞表を受理されたものの、社長からは「また戻ってこいよ!」と送り出され、修行期間は休職としての時間であって、「会社にとって必要な人間だから、修行が終わったら復職するように」と声を掛けてもらいました。
そんなこともあり、修行が終わったら、僧侶の資格があるというだけで、今までと同じように生きるものと考えておりましたが、『ペット霊園をしよう!動物のお坊さんになろう!』と決めた出来事が2つあり、今に至っているのです。
その一つ目は、檀家さんから可愛がっている猫が亡くなったのでお墓に一緒に埋葬してほしいとの電話があり、その件を御前様に伝えると「わしゃ、ええけどのぉ〜。墓はみんなのもんじゃから、一緒とうことに許可も得ないとのぉ〜。まだ火葬もしていないのであれば、その墓に一番近い脇の林に土葬したらどうか」との回答を施主さんに伝えますと、それでお願いしますとなったのです。
次に、誰を供養の任にすべきか御前様の判断を仰ぐと、「寺から2人出して供養せい」「いつもどおりにせい」とのことで、猫のお葬式をするべく上から順番ということになりました。
一番の古参に声を掛けると、「猫の供養になんて俺がわざわざいかなきゃいけないんだ」と断られ、次の古参に声を掛けると、「猫の供養なんかでお布施あるのか」と断られたのです。
たぶん、このまま声を掛けても似たような答えになると想像はつきました。
案の定、いろいろな理由を言われ断られるうちに、このまま断ってくれたら、私に順番が回ってくると考え、近い先輩たちには私が行きたいので断ってもらい、もう一人を探すべく後輩たちに声を掛けます。
いろいろな答えがあるものだと感心しながら皆から断られ、断る権利のない一番下っ端と私で猫の供養をすることになったのです。
この一件で、人の葬儀や法事では動いてくれる人たちが、動物が相手となると腰が重く、その気がないことを知ったのです。
檀家さんの前では聖職者であっても、動物の前ではただの人だという一面を目の当たりにして、このままでいいのだろうかと疑問を持ち始めたのです。
もう一つは、修行僧全員で托鉢(草鞋・網笠に托鉢箱、片手合掌で鈴を鳴らし、お経を唱えて街中を歩む修行)している時に、道路の真ん中に雀が倒れているのを見つけました。
どう見ても分かるはずの雀の遺体に、全く気付いていないのか、気付いても無視しているのか、誰一人として何事も通り過ぎてゆくのです。
ちょっと意地悪なのですが、誰かが気付きアクションを起こすか見ておりましたら、多くの僧侶がいるにも関わらず、誰も(私の後ろには2人おりましたが)何もしないので、私が駆け寄りハンカチで包んで衣袖の袂に入れ、「お寺に帰ったら、きちんと供養してあげるからね。今日は一緒に托鉢付き合ってね」と心で話し掛け、托鉢したことがありました。
托鉢中に喪中の家があれば、集合の声を掛けることなく、気付いた者が玄関まで駆け寄ると皆が集まり、宗派などとは関係なく、お布施を頂くこととも関係なく、命を弔うべく供養のお経を挙げるのです。
人の時には自然と行っていることなのですが、道路に横たわる小さな命には、命を弔うべく供養のお経を挙げてはもらえなかったのです。
托鉢の決まりとして、前後左右の距離を均等に保ち、列を整えて歩むとされているので、列を乱すことは叱られることもあり、列から逸脱することはちょっと勇気のいることなのかもしれませんが、人の時にはできるのに、動物の時にはできないということを目の当たりにしたことがありました。
お釈迦様は命に隔たりは無く、すべての命は尊いものだと言っているのに、宗教としてなのか、宗派としてなのか、僧侶ごとなのか分かりませんが、現実は違って、命には隔たりがあったのです。
人間とそれ以外の動物という隔たりです。
私の出家の経緯を認めてくれたのは御前様だけで、多くの僧侶は馬鹿にしたり、否定したり、いじめたりと受け容れてもらえないので、いつしかお寺を継ぐためと話さないようにしておりました。
お寺を継ぐためなら僧侶と認めてくれるのに、動物にお経ではいけないのかと気が滅入りましたが、それなら、私は命に違いを持たない・隔たりを持たない僧侶であり続けよう!人の修行寺できちんと修行しているのですが、私の志の原点から敢えて動物のお坊さんがいてもいいんじゃないか!と思ったのです。
ペット霊園でお経を頼む人もいるし、合同供養祭などにも僧侶がお経を唱えますが、修行中ですらこのような有り様であれば、動物たちには心からお経を挙げているのではなく、仕事として、檀務の一つとしてお経を挙げているだけで、そこに心などないのではないかと疑問に思い始めたのです。
いづれ独立するつもりでいたのだから、いっそうのこと修行が終わったらペット霊園を立ち上げよう!
そうすれば、霊園にくるペットたちに心からのお経を挙げることができるし、私のように家族のひとりとして供養してほしいという人がいたとしても、昔に私が経験したような嫌な思いをせずに済むと考えると、ペット霊園をすることが私に向いているのです。
動物たちにお経を挙げたくて出家したのだし、今までのペット霊園で経験してきた嫌なことを改革できるし、うちの子が亡くなった時には自分がしてあげれる最高の供養ができるようになるのだから、それを多くのペットたちや飼い主さんたち同じくしてあげよう。
そうすることを、私の心にいる者たちは望むだろう。きっと喜んでくれるだろう。
そうすることで、私を支えてきてくれた者たちへ、私は報いることができるだろう。
そうるうことに、私の歩むべき道があり、そうなるべく今までがあったのだろう。
こうして、サラリーマンには戻らず、広告代理店として独立してビジネスするという道から、ペット霊園という自らの経験を活かした、心を尽くすという道に舵を切ることになったのです。
お釈迦様や昔の僧侶に憧れていた昔の自分ではなく、そんな僧侶に自分でなればいいのであって、僧侶であり続けるために、生活をしなければ暮らしてゆけませんので、ペット霊園を設立して経営することで僧侶であり続けることができると考え、修行中から設立準備の段取りを想定しておりました。
出家前にあった貯金は、収入ゼロの修行の間に、家族の養育費として使い果たし、足りない分は両家から支援してもらい、資金ゼロからというよりも、借金ありからのペット霊園設立を考えるのですから、ちょっと普通では考えられませんよね。
でも、「できることからはじめる」「やれることからやってゆく」「始めることから始める」という私の思考から、心の想いは現実になると信じて、道を歩み始めました。
修行が終わるいわゆる卒業式の少し前、副住職と夜が明けるまで語らう良い時間を貰うことができ、「竹筒の蛇になるなかれ」との言葉を貰いました。
どういうことかと言いますと、にょろにょろとした蛇でも、竹筒の中にあってはそれなりに真っ直ぐになっているように、修行寺では戒律が厳しくて真っ直ぐであっても、世間に戻れば心が緩み、姿勢が崩れ、また蛇のようになってしまうことから、そうならないように!との励ましの言葉を頂きました。
そして修行中には知り得なかった、いろいろな話を聞いて、自分自身に自信を持つことができました。
(この話の内容は公開はできませんので、ここでは悪しからず)
(聴きたい人は口頭でね)
翌日はいわゆる卒業式を迎え、修行を共にした多くの仲間とのお別れです。
その後は、家族が車で迎えに来る者あり、総代さんが迎えに来る者あり、電車で帰るべくタクシーに乗る者あり、引越しのトラックに一緒に乗って去る者ありと、みんなを見送ってから私もお寺を離れました。
私は送行(そうあん:修行道場を旅立つこと)するにあたり、昔の修行僧たちのように托鉢をしながら、お寺(長福寺)まで帰るべく準備をしておりましたので、托鉢する際の鈴をお寺から借りるべく、御前様にその許可を求めにゆきました。
すると、「今の道は人のものでねぇ。車のもんじゃ。危ないから止めておけ。」と言われても引き下がらずに求めると、「わしゃ、お前さんが寺に帰るまでの責任がある。危険なことはできん。」と再度却下されました。
今までは御前様の言うことに「はい」と随ってきましたが、これは私の大修行として譲れないことなので、御前様を説得にかかります。
昔の僧侶への憧れがあること、お釈迦さまも歩いて説法していたこと、良寛さんも新潟の各地を歩いて回ったこと、各地のお地蔵さんへ感謝しながら帰ること、新潟の大地を自分の足で感じ取りたいことなどなど、ダメと言われ度に他の理由を述べては説得しておりました。
最後は、「ダメじゃ」「お願いします」の繰り返しでしたけど。
そうしているうちに、「久しぶりじゃのぉ〜。托鉢しながら帰るやつがおるなんて。何十年ぶりじゃのぉ〜気骨あるもんが現れたのは…」と昔話を懐かしそうにしてくれ、いろいろな話をしてくれました。
(これも公開できない話しばかりで、ここでは悪しからず)
(聴きたい人は口頭で)
御前様の考えやいろいろな話を聞き、今までのことが理解でき、嬉しくも切なくもあり、自然と涙が零れそうになります。そして、最後に御前様から一言。
「お前さんは、ここに来た時から僧侶じゃった」
最高の褒め言葉を貰って、お寺を後にしました。
大栄寺専門僧堂を出てからは強風が吹き荒れ、田圃道を歩いていると網笠と衣が風を貯め込み飛ばされそうになるほどでしたので、その後に雨が降りそうな予兆です。
案の定、風は冷たくなってきて、急な土砂降りが続き、あっという間に私の衣はびしょ濡れとなり、下着に至るまでずぶ濡れになりながら、歩みを止めず、鈴を鳴らし、お経を唱えながら托鉢を続けておりました。
すると、土砂降りの中、道路で猫が横たわっておりました。
いつものように道路脇に移動してあげて、今度はきちんとお経を挙げて供養してあげました。資格証明書を得ての正式な僧侶として挙げるお経が、道路で亡くなっていた猫で、私らしいと思うと、ここで供養してもらうべく待っていたのかと思えたほどです。
供養の後、連れて帰ることはできないので、持ち合わせていたティッシュの裏紙に、「通りすがりの僧侶です。きちんと供養を致しましたので、どうか心優しい方にお願いです。後のことを頼みます」と記し、ティッシュを猫ちゃんの枕にしてあげて、その場を立ち去ろうとしました。
土砂降りの寒い夜で、文字を記すにも手がかじかんで思うように書けないほどの寒さでしたから、せめてタオルでも掛けてあげようと思ったのですが、持ち合わせているタオルは資格証明書を護っているタオルだけで、これを使う訳にはゆかないと躊躇してしまいました。
この時、頭をかすめた躊躇とは、辛い修行を乗り越えて手にした証明書で、この先も提出を求められる大切なものなので、濡れてしまってはいけないと思ったのです。
ですが、心で想ったことをしなければ、意味がありませんので、想った通りにタオルを掛けてあげました。
実際には土砂降りですから、掛けている時にはずぶ濡れになってしまい、掛けても無駄なことかもしれませんが、私の気持ちとしてできることをしてあげたのです。
このタオルを掛けてあげたことで、私は僧侶として大切なことを得たように思います。
資格証明書を得るために努力してきたと言ってもいいような大切なものですが、これはただの紙切れです。
それよりも大切なことは、心からの想いであって、優しさを施すことの方が、僧侶にとっては何よりも大切なことなのです。
資格証明書という執着に囚われることなく、執着心から離れて自由になり、今の自分にできることをするという布施の心を行い、そこに命があったこと、想いがすべてと志したこと、目に見えることだけではなく、心の目で見ることの大切さを、この猫ちゃんが教えてくれたのだと思い、この行いこそが私の修行であったと気付いたのです。
これにより、見た目ではない心の証明書を、仏さまから貰ったような気がします。
私に「気付き」と「学び」を与えてくれて、みんなありがとう!
みんなの導きと縁あって、ようやく僧侶になれたよ。
これからも、ずっと一緒に生きて行こうね!
みんなの分まで、堂々と生きて人生を歩むから、
いつか人生を終える時に迎えに来てね。
精一杯生きてみるから、これからもよろしくね。
みんな大好きだよ。本当にありがとう。
こうして、私は僧侶となり、今となっております。
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