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家族のひとりとして愛された
ペットたちのためのペット霊園

電話でのご予約・お問い合わせはTEL.0120-75-5940

〒940-0137
新潟県長岡市平2-5-7長福寺

プロフィール

横田晴正というお坊さんは、どんな動物なの?

東京分室にて
ラブと一緒
長福寺にて
蘭丸・景虎・佐吉と一緒


動物が好きで命を救う獣医になる者もいれば、
動物が好きで魂を救う僧侶になる者もおります。

「ペットのお坊さん」「動物のお坊さん」とよく思われがちですが、
「人のお坊さん」でもありますからね!

いやいや、私はすべての命が等しく尊いと思っているだけの、
ただのお坊さんなんです。

詳細

■呼び名:横田晴正(よこたはるまさ)
     
横田さんとお呼び下さい!
     「様」が付くほど偉くありません!


■生息地:新潟県長岡市平2-5-7 長福寺(曹洞宗)
     
普段はこちらでワンコたちと住んでおります!
     東京都杉並区今川2-21-1 東京分室
     
こちらの東京分室は実家であって、
     私は普段住んでおりません。猫たちが住んでます。


■誕生日:1971.12.11 東京生まれ・東京育ち
     
杉並の実家は元お米屋さんで、
     お寺の生まれではありません。


■経歴:明星大学経済学部卒業
    
多摩動物園が近くにあったから入学したそうで、
    面接でそのことを言ったら、ふざけているのか!
    と怒られたらしい…
      
    株式会社セキド
    
ペットたちとの生活をより良くするべく、
    ペット用品の販売をしていたらしい…

    ↓
    株式会社コスモリバティー[ナツメプランニング所属]
    
メディアを利用して動物や自然への意識改革をするべく、
    広告代理店に転職したらしい…

    ↓
    株式会社アイデム・都市生活研究所
    
新潟で自らペット霊園を運営し、東京のペット霊園でも勤務、
    深夜は求人広告会社で働き、時には外部顧問として働き、
    5年間、新潟と東京を往復しながら24時間働く。
    睡眠時間は、高速バスと新幹線の移動中だけだったとか…

    ↓
    宗教法人 曹洞宗 長福寺 住職
    
ペットは家族の一員なのにお経がないなんて!!
    と動物たちにも同じくお経を挙げてあげたくて
    出家してしまった稀な人みたい…


    ペット霊園ソウルメイト 長福寺・東京分室 代表
    
この生物は『人と動物・自然が共によりよく暮らす』
    をモットーに社会を変えるべく人生を選択しているらしい…


    現在に至る。

大きさ:160cmの小型の小動物とのこと
    
大学時代は武道・異種格闘技で相当鍛えていたので、
    当時はスーパーサイヤ人と呼ばれていたらしく、
    未だに首・肩・胸のサイズが衰えず、
    あまりサイズの合う服がないらしい…


習性:暑いのが苦手で夏場は体重が減るが、
   体重は秋から冬にかけて増える。
   ちなみに冬眠はしません。
   
妻にはよく頬っぺたをつままれるらしい…

   動物・植物・海洋生物が好きなので、動物園、水族館、
   植物園、ペットショップ、ガーデニングショップなどで
   見かけることができる。
   
頻度は高いが小柄な小動物で秘かに生活しているので、
   大型の捕食者からは見つけられないとのこと…


   霊長類の大人子供科に類するため嗜好品を好み、
   お肉、カレー、プリン、ヨーグルト、ケーキ類が好きで
   施してくる人によくシッポを振る。
   
お寺に生息しているだけあって、
   夜な夜な甘いものが消えるらしい…


   性質はいたって温和でまず爪を立てることはないが、
   その爪には少林寺拳法・異種格闘技などで鍛え培って
   きた技があるらしい。だが、「力を得ても誇らない」
   という武道精神からその技を見たものはいない。
   
武道をする理由をコーチに聞かれ、恥ずかしげもなく
   「愛する者を護るため」と答えたらしい…
   そんな屈強な武道家でも妻と娘にはめっぽう弱いらしい…


   音楽は落ち着いたクラッシク・アニソンが好きなのだが、
   ある一時期においては夜のクラブで酔拳ダンスや
   空手ダンスを目撃したとの情報もあるが、
   その情報は定かではない。
   
子供たちがダンスを習っていたのは遺伝の影響なのか…

   書物は自己啓発やノンフィクションを好み、難しい経典
   を苦手とする。詩を作るとの情報もあるが、贈られた人
   しか知らないので定かではない。
   
愛や情熱がテーマらしいが触れた者が感染すると発熱
   する恐れがあり、限られた人にしか贈らないらしい…
   妻の発熱はもしかして…


   インテリア雑貨などが好きで街中に出没するようだが、
   お寺との調和という点で…と買わないことが多い。
   
いや、単にお小遣いがないのかもしれない…

   ガンダムが昔から好きで、最近ではガンダムのプラモデ
   ルを作っては、ポーズをつけて飾っている。
   
お寺だけに夜な夜なガンプラのポーズが変わるため、
   プラモデルは生きているのではないかとの噂もある…

 *彼を飼育している人の談話によると、
  あの生き物は、「大きな?いや小さな?子供のようだ」
  とのことで、「結婚した時から、未婚の母のようだった」
  という話があるが、とても飼い易いようである。
  
いったい、どんな生き物なのか?
  この生物は図鑑に記されていないこともあり、
  未知の部分が多いらしい…会って確認してください。


家族構成:この家において、すべての生き物の頂点にいる
     妻(年々お美しくなる年齢不詳の女性)を筆頭に、
     妻に忠実な飼い易いペットである私(49才)。
     人型は、長男、次男、長女の3人。
     
嗜好品の購入数を数えると4個ずつあるので、
     子供の数は4人なのではないか…?


     ミニチュア?ダックスフンドなの?
     と言いたくなるような体格のよい
     蘭丸らんまる)。14
     チワワとダックスのミックスなの?
     と言いたくなるような可愛いい
     景虎かげとら)。11
     本当にカニヘンなの?
     と言いたくなるような元気な
     佐吉(さきち)。1才
         
     
2021.1月時点の家族構成である。

 

この人が順風満帆の広告代理店を辞め、出家して僧侶になったのには訳があるとのことで、このような記述が残されている。

小学4年生の時に飼っていた猫のミクが失踪してから1週間、毎日朝から夜まで探し回っても見つかりませんでした。この日も学校から急いで帰って来て探しに行こうと玄関を出ると、向こうからミクが歩いてきたのです。
喜びは瞬間でした。

ミクの両目は砂で潰されており、体はガリガリに痩せて、泥にまみれ毛艶はなく固まっており、後ろ足が折られて引きずりながら、フラフラになりながら帰ってきたのです。

交通事故ではなく、何者かから虐待です。

当時は動物病院は少なく、ペットを病院に連れて行くの?というようなご時世で、まして縁の下で飼っていた猫となると「病院に連れてって」と親に言いだすことが出来ませんでした。
今の自分にできることは、「一生懸命に看病すること」「一緒にいてあげること」「回復を祈ること」の3つしかなく、これが非力で無力な子供の私にできるすべてでした。

膝に抱きかかえていても衰弱していくばかりなので、食品販売していた実家の中に猫を入れると親に叱られ、それならばと外に毛布を敷いて私が一緒に寝れば注意され、学校に行かずに看病していると怒られて、自分の無力さに悔し涙するばかりでした。
その中にあっても、「祈ること」だけはずっとできる唯一のことでしたので、ただひたすらに心から祈っておりました。

ひたすらに祈ってみても、ミクはか細い声で鳴くことしかせず、食べることも水も飲むこともできず、寝たきりのまま2日が過ぎました。

3
日目の夕方、膝に抱いていると砂まみれの目を開いたので、元気になるのではないかと期待したのですが、目を合わせるとミクが私に「ありがとう」と言うのです。
言葉ではなく、目を通じて心に直接話しかけているように、「ありがとう」と聞こえるのです。
耳に聞こえる言葉ではなく、心から心に伝わるような不思議な言葉を聴きとると、力が抜けて静かに亡くなりました。

いくら呼んでも反応しない。
体には力がない。
どうして…なんで…

私は悔しさと悲しさ、怒りと恨みで涙が止まりませんでした。

この数日のことを思うと胸が張り裂けそうになり、こんな状態で帰ってきたのかと思うと胸が締め付けられ、嗚咽しながら鳴いていると息ができなくなり、心臓が止まりそうになるほど泣き喚いておりました。

ファンタジーアニメにあるように涙を注げば生き返るのではないかと、涙に希望を託してみるものの、どれほどの涙を注いでも、いくら願っても、現実は無情にも静かなものでした。

神様にずっと心から祈っていたにも関わらず願いは叶わず、体は固く冷たくなって、無慈悲にも命は失われたのです。

目を開いていた時間は数秒のことだったのでしょうが、私にとっては長くゆっくりとした時間のように感じ、とても安らかな静寂の空間に包まれながら、優しくも温かく言葉が聞こえてきたのです。

この「ありがとう」という言葉が聞こえたことを母に告げると、「最後の力を振り絞って、あなたに感謝したかったのよ」と涙ながらに言われ、嬉しさと悲しさ、悔しさと怒りで、戸惑いながら泣き叫んでおりました。
亡くなった悲しみと痛みを思うと、胸が締め付けられたり引き裂かれたりするかのように苦しくなり、自分の無力さや犯人への怒りから、どうしていいのか分からないやるせなさから叫び声をあげ、目を開けて感謝してくれたのかと思うと、嗚咽しながら泣くことが続きました。

泣いてばかりで何もする気になれず、食欲はなく、ただ茫然としているだけで、周囲の多くの人にはこの悲しみを、この心の在り様を理解されず、不思議な言葉も子供の戯言としてあしらわれ、世界から見放されたかのような呆然とした時間だけが、ただ過ぎてゆきました。

たかが一匹の猫が死んだくらいで…と、男なのにいつまでも泣いて…と、
また猫を飼えばいいだけのこと…と、そんなことよりも勉強しなさい…と、
私の気持ちは誰からも理解されず。。。

この悲惨な出来事から、私は命の大切さを感じ、どんな子もすべてミクと同じ命なのだからと思うようになり、傷ついた動物たちを保護するようになり、道路で亡くなっている子を連れ帰り、うちの子として最後を丁重に弔うようになりました。

それからというもの多くの動物たちの最後を看取ってあげるようになり、ここに命があったことを尊び、同じ人間の過ちとして心から謝り、自分なりの弔いをするようになっていったのです。

「ごめんね。まだ生きたかったよね。
 人を恨まないでね。心から悲しむ人もいるからね。
 寂しくないから僕の心においで」

と、いつも愛おしみ撫でながら声を掛け、魂があるのなら私の中においでと引き込むようにして、私の中で共に生きようと想い願い、

「私という命を使っていいよ。
 何かを見たければ、この目を使えばいいし、
 何かを聞きたければ、この耳を使えばいいよ。
 何かを食べたければ、この口を使えばいいし、
 何かしたければ、この手をつかえばいいし、
 どこかに行きたければ、この足を使えばいいよ。
 私になって一緒に生きていいよ!」

と、命の最後を看取るようになってゆきました。

うちの子たちも同じように看取り、道路で見かけた子も同じように看取り、保護しても助けれなかった子も同じように看取り、数えられないほどの動物たちが私の心という楽園で暮らしていることか。。。

月日は流れ、高校の部活からの帰り道、道路に仔猫が倒れていて、側に母猫らしき猫がおりました。
この母猫は自分の子がそこに倒れているから、車が来てもたじろぐだけで一歩たりとも退かないのです。
その姿は衝撃的で、母猫が仔猫を想う気持はとても強く、「想い」に人間も動物も違いがないことが伝わってくるもので、母猫には確かな心があり、通り過ぎる車や人には心があるのだろうかと疑いたくなるほどの光景でした。

大人という社会は不思議なもので、道路で仔猫が横たわっていても、側に母猫が寄り添おうとしていても、誰一人車を止めることなく、誰一人足を止めようとせず、ただ避けて通るだけ、ただ見て過ぎるだけなのです。
小さな命が叫んでいるのに誰も立ち止まりません。

いつものように私が道路に出れば車は止まり、通行人は何をしているのかと立ち止まります。
大人という社会は不思議です。
人間が同じ状況にあれば、手助けしてくれるのに、体の大きさが小さいだけで、種族が猫というだけで、同じ命がそこあるのに、手を差し伸べないのです。

2度もひかれるのは可哀想なので、いつものように道路の脇に移動して、撫でながら声を掛けて弔っていると、母猫が警戒しながらも仔猫を舐めて綺麗にしておりました。
優しくゆっくりと…。労わるようにそっと…。

私は仔猫と母猫に同じ人間の過ちとして心から謝りました。母猫は仔猫の血をすべて舐め終ると、仔猫の死を理解したのか、その後私を見つめて座り、どこからともなく「ありがとう」と聴こえてきたのです。

あの時と同じ感覚の心に直接語り掛けてくるような言葉です。
あの時と一緒だ!同じ感覚だ!とタイムスリップしたかのようでした。
もう18歳ですから勘違いや空耳などではなく、目の前の母猫と心が通じ合えたのだと確信がもてました。
(もしかしたら、仔猫からの言葉だったのかもしれませんし、ミクからの言葉だったかもしれませんが)

この出来事から同じ命同士なのだから、交し合う愛情に違いはないし、同じ命同士なのだから、想う気持に変わりはなく、同じ命同士なのだから同じく心があり通じ合うことができるのだと悟らせてくれたのです。

目の前にいる仔猫は命を奪われ、私はこの先のある命を与えられており、目の前の小さな命に対して、いかにいい加減に生きているのかと恥ずかしくなり、自らの生活を省みて、心から素直に生きようと誓い、人の評価を気にするような偽りの自分ではなく、あるがままの自分を生きるようになったのです。

昨日までお笑い芸人を目指していた学校一の目立つ人間が、急に真面目になって大学に行くなんて言い出すんですんですから、校内騒然ですよね…

それから、目に見えないものへの「想い」が正しいことを、「想い」を貫くことが大事なことを、「想いがすべてのはじまりである」と私に自信を持たせてくれた出来事がありました。

井草八幡の祭りの終わりに、人相占いの前を歩いていると声を掛けられたのです。
「観てあげるからいらっしゃい」と言われたのですが、「信じていないし、お金を出す気はないので」と断ると、「あなたの後ろには動物がいっぱいいる。興味があるからいらっしゃい」と言われたのです。

この言葉を耳にして、私は溢れる涙を堪えるのがやっとで、涙を見られまいと急いでその場を立ち去ってしまいました。
誰にも言っていない私だけの弔いの言葉のように、今まで看取ってきたみんなは、私には見えないけど、私になって生きているんだ!と思うと、自然と涙が溢れてきて、耐えることなく涙すると、こんなにも涙があるのかと思うほど、夜空を見上げながらいっぱいの涙を流しました。
とても心地の良い不思議な感覚の涙でした。

たとえ私の目には見えなくても、心で想っていることは現実で、心の眼で観ることの大切さを感じました。

最後を看取った動物たちの魂を心に引き込んでいること、誰にも話したことのない私だけの秘密を、私のことを知らない第三者から「あなたの後ろには動物動物がいっぱいいる」と言われたら、自分の行いは正しかったのだと確信に至り、誰が見ていなくても、自分では観えなくても、心からの行いに自信と誇りを持てるようになったのです。

そして、私は動物たちのために何かをすべく生を受けたのだと天命を感じ、無意味に感じていた大学進学も成すべきことの為ならばと勉強するようになったのです。
(大学は動物園が近いという理由で決めました!)

野良猫ミクは私に「不幸にも死んでしまった仲間の最後を心から看取ってあげること」、「命には違いがなく、すべての命が大切なこと」を教えてくれました。
さっきの母猫が「人と動物の間に思いは通じること」、「愛情や想いには何の違いも隔たりもないこと」を気づかせてくれたのです。

子供の頃には当たり前だっと思っていたことで、素直にそうしていたことなのですが、周囲から理解されないこともあり、素直な心を隠すようになって、大人に近づくにつれて私の心は、子供の頃に持っていたはずの大切なものを失いかけていたのです。それを教えてくれたのだと思います。

共に “ありがとう” という不思議な言葉で…。

この2度目の“ありがとう”から私は「心から謝るだけではなく、心からの想いが供養のすべてだと思ってはいても、彼らの為にお経が読めたら…」と強く思うようになったのです。

そして思い出したことがあったのです。
ミクが殺されて辛い死だったので、せめてあの世で安らかでいてほしいと思い、祖母の法事の際に菩提寺の和尚さんにお願いしたことを。

菩提寺の住職に、うちのミクにもお経を読んでほしいと頼んだら、動物たちにはお経がないと断られ、この世には神もいなけれれば、仏もいないのか!お坊さんがお経を読んでくれないのなら、いつか自分で読んでやる!と思ったことです。
ですが、どのようにしてお坊さんになるのか分からず、どうせお坊さんになれないのなら、ペットに携わる仕事をしようと考えたことを思い出したのです。

そうして、心から供養することがすべてと思いつつも「お経には何千年もの時を経ても失せることのない何かがあり、もしお経に何らかの供養する力があるのなら、私は動物たちのために心から捧げたい」と易者との出来事からさらに強く思うようになってゆくのです。

僅かな人生ではあるにもかかわらず、何故か多くの動物の死に出会うのは、私に気づかせるためであり、「ペットや動物達のために何かをすべく生まれてきたのだ」と生まれてきた使命を自覚させるために、みんなが命でもって教えてくれているのだと分かってきました。

海外青年協力隊でアフリカに行って動物保護監視員になりたくて、動物園でバイトしていれば道を見出しやすいと考え、動物園(縁)が近いという理由だけで入学した大学で、知り合い好きになって結婚した相手が偶然にもお寺の娘さんで、私の心には導きなる縁がもたらされたのです。
(義父には息子が2人いるので当時は僧侶になることは思ってもいなかった。)

在学中に日本のペットショップの悪しき風習を知り、日本の犬猫すら救えないのに、世界の動物を救いたいなんておかしなこと思い、卒業後は監視員にならずペット業界で出世して偉くなって、悪しき風習を変えてやる!とペット用品販売員となり、これだけでは影響力が小さいとメディアの力で人と動物がより良く暮らせる社会を実現するために、広告会社に転職して、ペットの地位向上をするためのメディアミックスをしておりました。
就職・結婚してから6年後、当時こどもも2人いて、仕事も順調なのに、いつかお坊さんにと思ってはいても、思っているだけで行動しなければ現実にならないことを知っているだけに、後悔しない人生のためにもまず僧侶になろう!と心の道が開き『動物(ペット)のお坊さん』になるべく広告代理店を辞め、27歳で出家し、僧侶となるべく家族と離れ、大栄寺専門僧堂にて修行をすることになったのです。

そして2001年4月に修行(1年3ヶ月)を終えて、『動物(ペット)のお坊さん』として人生の一歩を踏み出しました。 

時間を越えた動物との愛情の絆が私を動かし、動物(ペット)の供養をすることがみんなの愛情に応え感謝することにもなるのだと、サラリーマンに戻らずペット霊園を設立するに至ったのです。

動物たちと心を交わすことは、言葉や種族が違うだけに相手のことを思い察することからも、人としての思いやりも増し人間性を深め、人はより優しくなってゆくことに気が付き、私と出逢った縁のあるみんなは、私の人生を豊かにして幸せにしてくれていたのです。

私が看取ってきた多くの命たちは、私に【気づき】と【学び】を与えてくれたソウルメイト(魂の伴侶・心の友達)であり、この純粋で素直な命たちに人として感謝するべく、この先に出会う多くの仲間たちにもお経を挙げてきちんと供養することができる僧侶であろう!
種族を超えてペットを家族のひとりとして愛してくれた人たちに、あの子たちの気持や想いを伝え、相手の気持ちを察することのできる心に寄り添える僧侶であろう!

また、動物たちから幸せをいっぱい貰い、人生を支えられ、助られ、命まで救ってもらった私[エピソード7に記述]は、彼らに感謝するべくこの命のある限り、動物たちと共に、ペットたちの為に、あり続けよう!
そして、命を分け与えてくれた彼らの分まで人生を生きて行くつもりです。

私が看てきたみんなは、私の命の中に受け継がれ、私の心の中で共に生き続けており、これからも私と一緒に人生を歩んでゆきます。

いつか再会する日に、今度は私から「ありがとう!」と伝えたいと思います。

ペット霊園ソウルメイト

ペット霊園ソウルメイト

【新潟】
〒940-0137
新潟県長岡市平2-5-7 
長福寺

*葬儀・供養・火葬・納骨・
 埋葬・粉骨・永代供養・
 パラカウンセリング可能です!


【東京】
〒167-0035
東京都杉並区今川2-21-1 
東京分室

*葬儀・供養・火葬・
 パラカウンセリング可能です!
(火葬は移動火葬車対応)


【電話受付共通】
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