いつでもいいですよ。
縁があれば出逢うし、縁がなければ出逢いませんから。
すぐにペットショップに行って、新しい子を見るなんて不謹慎に思われる方もおりますが、見る分にはいいのではないですかね。
見ているだけで、可愛いだけで、いいなぁと思うだけで、いいのではないでしょうか。
その中で縁がある子がいれば出逢うことになりましょうし、縁がなければただ可愛い子たちがいるだけです。
どんなに必死に探しても、同じような子たちはたくさんいたとしても、見つからない時には見つかりません。
出逢う縁がないのですから。
もう、こんな悲しい思いをするのなら、ペットは飼わないと決めていても、縁ある時には何故か迎えているものです。
すぐにペットショップに見に行くなんて、薄情な飼い主であの子に申し訳ないという気持ちになりましょう。
新しい子を迎えたい気持ちはあるけど、あの子が嫉妬してしまい、可愛そうなことになるのではないか。
そういうことを考えて、新しい子と暮らすことに躊躇してしまうことがあるものです。
一緒に暮らした幸せを知っているだけに、また一緒に暮らしたいと思う気持ちもありましょう。
別れの悲しみを知っているだけに、もう一緒に暮らさないという気持ちもありましょう。
「また」と思っても、縁のない時には出逢わないし、「もう」と思っても、縁ある時には出逢うものです。
だから、「いつから」ということではないのです。
直ぐかもしれないし、後になってからかもしれないし、ずっと後になるかもしれないし、来世ということかもしれません。
ですから、いつからではないのですよ。
またペットと一緒に暮らしたいと思うのであれば、すぐにペットショップに行ってもいいのですよ。
出逢う時には、心にピン!とくるもので、何故か気になるという子がいるものです。
心の節目として、一区切りしてからにしようということで、日を決めて喪に服すという方もおります。
一つの心の節目としては、四十九日の供養を済ませてから、一周忌の供養を済ませてから、という方は多いですよね。
新しい子を迎える時期は、いつでもいいのですが、寂しいからとのことで衝動飼いはしないでください。
あの子の面影を探して、似ているというだけで迎えないようにしてください。
あの子はあの子で、新しい子はその子でしかなく、命にはそれぞれ心があり、性格も違いますからね。
命は工業製品のように同じ物ということはなく、みんな違うので、あの子の代わりではないのです。
そのことを理解せずに迎えてしまうと、時が過ぎてから落ち着いて来た頃に疑問を感じ、思い悩むこともありましょうし、
あの子と同じじゃないとのことで可愛がれないこともありますので、気を付けてほしいものです。
また、嫉妬してしまうのではないかと思いましょうけど、嫉妬するようなら導きを出逢わないようにしましょう。
そもそも、今は仏さまですから、嫉妬することはないのですよ。
体がある時には執着がありますから、自分を見てほしいとの気持ちがありますが、
今は体を離れて仏さまとなり、あなたの幸せを望む者ですから、新しい子との暮らしを歓迎してくれますよ。
あなたが幸せになり、笑顔になれるのであれば、新たな命とのご縁を導き、出会うように間を取り持ってくれますよ。
嫉妬するほどであれば、新たな命になって生まれ変わってくることもできますから、
出逢いを否定してはなりませんよ。
可愛そうということであれば、この世で不遇だった誰かとあの世で友達になり、
あなたの元に行くように出逢いを導くこともあるのですよ。
あなたと暮らした幸せを一番知っているのはあの子ですから、自信を持って紹介してくるでしょうし、
その新しい子の守護者となって、あなたの元に一緒にやってきますよ。
新しい子を可愛がってくれる姿をみて嬉しくなりましょうね。
そんな子たちが嫉妬するはずはないのですよ。可愛そうでもありませんからね。
あなたの幸せを望むのが仏さまですから、あの子たちはあなたの幸せを願っておりますよ。
新しい子を迎えて、幸せになっていいのですよ。
そんなあなたの笑顔を見たいと望んでおりますよ。
あの子と出逢った時のことを思い出して下さい。
「縁深い者とは、出逢うべくして出逢う。一瞬たりとも早すぎず。一瞬たりとも遅すぎず。あの日、あの場所で。」
というように、何故か出逢うようになっていて、そうして出逢ったのですから、また良縁がありますよ。
「いつになったら」「いつから」とかいうように、心を頑なに閉ざさないでいいのですよ。
いつか、また、一緒に暮らしたいとの想いのままで、心の扉を開いていると、分かりますよ!ピンときますよ!
出逢うべくして、出逢いますよ。
あなたと出逢うために命の姿を授かってきた運命の子ですからね。
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