26. 友引の火葬はやめた方がいいのですか?

普段から六曜を信じているのであれば、それに従った方がいいと思いますが、
陰陽道や何かの信仰などがないのであれば、火葬してもいいと思いますよ。

いろいろな信仰によっては、日月や方角があるのでしょうけれども、
普通に生活しているのであれば、そういうことに囚われることはありませんよ。

普通に考えてみて下さい。
大安に結婚したら離婚しないのですか。仏滅に結婚したら離婚するのですか?
(ちなみに、私たち夫婦は仏滅に結婚しましたが、とても仲良しですよ。
 仏滅だと式場の割引率が高くて、その分の費用が抑えることできましたからね。)
先勝の日は賭けに勝つのなら、パチンコ・競馬などは、その日はお休みにしなければなりませんよね。

友引だからといって、友達を引いてあの世に逝くことはないでしょう。
それこそ、友達じゃぁありませんよ。
それに、もともとは共引であり、勝負事は引き分けになる日ということですからね。

気にする必要はありませんが、気になるのであれば従った方がいいです。


そうでないと、きになっていることが心に残り、何かあたら、曜日の所為になってしまい、選んだことを後悔しますからね。

私は一日一日を、すべて良い日だと思っております。
日によって吉凶がある訳ではないと思いますよ

 

27. ずっと前の子であっても供養することは出来ますか?

できますよ。
あなたの想いがある限り、いつでも供養することはできます。

今の子の供養の際に、前の子の供養も一緒にお願いすることできますか?と相談されることはよくあることです。
今回の子は供養してあげるのに、前の子は供養していないということから、よく頼まれますよ。
また、以前の子たちには、きちんとした供養をしてあげていないことから頼まれることもあります。

その頃はまだ子供だったので。供養するという時代ではなかった。
その時には供養するという考えがなかったから。
その時には横田さんのような僧侶がいなかったから。

理由はいろいろとありましょうけれども、お骨が無くても、写真が無くても、
心に想いがあれば供養はできるのですよ。
年月が過ぎてしまったからしないのではなく、年月が過ぎてしまってもした方がいいですよ。
そういえば…と思ったのなら、この機会に供養することをお勧めします。
ずっと心残りになってしまいますからね。

時間の前後は都合によってあるものですよ。
人のお葬式だってありますよ。
密葬(火葬)だけを家族で先に行って、後日本葬するというように、準備を整えて葬儀することもあります。
人の結婚式だってそうですよ。
結婚した時にはお金が無かったから式ができなかったので、この歳になって結婚式をするということもあります。

後になってもいいではないですか。
しないよりも、した方がいいと思いますよ。

何より、想いがあるということが、供養される者にとって嬉しいことかと思いますよ。
ずっと心の片隅に秘めていた想いを表に出して、供養と祈りにしてください。

 

28. 供養の節目になる日はいつでしょうか?

いつでも供養の日となりますよ。
あなたに想われたら、その日が供養された日となりましょう。

供養の節目として一般的な節目とすると、命日、初七日、三十五日、四十九日、百か日、月命日、一周忌、三回忌…とあります。
「今年は供養の節目に当たるから供養する」という考え方がありますが、節目の年でなくても、毎年命日は来ますからね。
人の時もそうですが、今年は供養の年だから…と言われますが、毎年供養の年なのですよ。本当はね!

あと、供養の節目として、その子の誕生日を祝うことも、嬉しい供養の一つだと思いますよ。
亡くなってしまったから歳を取りませんが、生きていたとしたら…何歳の誕生日だね!という気持ちから、
あの子たちの誕生日をお祝する方もおります。

いいことですよね。素敵なことですよ。
あの子の話を家族でしながら、ケーキを食べたら、家族団欒になって良い時を過ごせましょう。
時には笑い、時に涙し、いろいろと思い出を話すといいと思います。

よく日数の数え方について聞かれることもありますので、いちおう記しておきます。

亡くなったその日:命日 命日を含めて数えた7日目が初七日となり、七日ごとに追善法要があり、
その翌週は二七日、その翌週は三七日、四七日、五七日(三十五日)、六七日、七七日(四十九日)となります。
五七日は、5*735ですから、三十五日となり、宗派や地域によっては三十五日法要を重視することもありますし、
四十九日が三ヶ月に渡るといけないので、三十五日に四十九日法要をお願いしたいとの話もあります。
(仏事を知らない人にとっては、何のこと言っているか分かりませんよね〜)
一般的には七七日(7*749)の四十九日法要が一般的かと思います。
その後は、百か日、月命日、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌・・・となります。

一周忌と三回忌の数え方で誤解も多いので話しておきます。
一周忌とは、亡くなってから一年目の一周した年と字の如くなので問題ないのですが、三回忌はその翌年になりますので誤解が生じます。
そのまま数えてしまうと、三回忌が三年後になってしまい、言うなれば四回忌になるのです。
回忌の数え方では、亡くなった命日を1回目の命日と数えるので、一周忌は2回目の命日となり、3回目の命日が三回忌となるのです。
また、次の年を迎えるということからも、一周忌の翌年の二周忌と呼ばず、一年足して言うことから三回忌となるのです。
(諸説はいろいろあり、名称など私にはあまり興味がありませんけどね。)

そのようにして供養の節目とされることにも意味があるのですが、ここでは割愛します。
(だって、そんな話に皆さん興味ありませんからね!)

一番大切なことは、日々の想いであるのはもちろんのことです。
毎日の想いの積み重ねが、永遠というものに繋がっているのですからね。

供養の節目には、いつもよりちょっと豪華な供養してあげるといいと思います。
あの子の好きだった食べ物を備えてみたり、仏具を新たに備えたり、お経を挙げてもらったり、
節目の時には、何らかの供養をしてあげたらいいのではないでしょうか。

 

29. 読込供養とは、どういうものでしょうか?

お経の際に、お名前を読み上げて供養することで、
想いがあることを伝え示すということです。

お経の後に回向というものがあり、
その回向の中で、「今日のこのお経は誰に挙げられたものですよ」と読み上げております。
そうでないと、読んだお経が誰宛てもので、何の目的のものであったのかが分かりません。

宛先のないお経では、宛先の記していない手紙のようなもので、
せっかく想いを込めて記したのに、届けたい相手に想いが届きませんよね。

供養する気持ちのある想いの表れですから、お寺に参詣して供養される時には、
お経の後の回向の中で、お名前を読み上げて供養しております。
事情があって参詣出来ない時には、こちらでお経を挙げさせていただき、
お経の後の回向の中で、お名前を読み込んで供養をすることから、そう言うのでしょうね。

合同供養祭の時など、日時がこちらの都合で決まっておりますので、
参加して一緒に供養したくてもできないことも多々あることかと思います。
そんな時には、「うちの子も同じく供養してほしいので、読込供養でお願いします」となります。

読込とは、気持ちの表れ、意志の明示ということで、
供養する気持ちのあることを示しているということです。

個別の供養においても、行くことはできないけど、あの子ためにお経を挙げてほしいという時に、「読込供養でお願いします」となり、
お寺にてお経を挙げさせて頂き、このお経は誰さんから誰ちゃんへのものですよ!と読込供養するのです。

参詣しても、参詣しなくても、
想いのあることにはかわりません。
想いがあるから、供養してあげたくなるのです。

行けないから供養できないということではありませんからね。
行けなくても、来れなくても供養することはできますよ。

 

30. 行方不明になった子でも供養することは出来ますか?

できますよ。

誰かのために祈ることは、生きている時でも、亡くなってからでも、いつでもできることです。
あの子の幸せを祈ることはできますから、亡くなっていればそれは供養となり、どこかで生きていれば祈祷となります。

行方不明になると、どうしていいのか、どう考えていいのか思い悩むものですよね。
生きて帰ってきますように☆と祈っても、亡くなっていたとしたら無理なことだし、
あの世で幸せでありますように☆と祈って、誰かに救われて生きていたとしたらと思うと、
帰ってくることを願っていいのか、供養していいのかどうなのか、分からないだけに悩むことになりましょう。

いつにまでは帰って来ることを信じて待つということでいいと思いますし、
いつまでに帰って来なければ亡くなっているかもしれないと供養にしていいのだと思います。

その期日をどう定めていいのかは個人的なことですから、判断はまちまちです。

私はうちの猫たちが行方不明になってから、半年後に帰ってきた経験が2度あるので、
半年間は無事でいること、帰ってくることを願いますが、
半年過ぎると、いちおう供養とします。
亡くなっていたとして、半年以上も何もされないのでは可愛そうなので、いちおうの供養をして、
その後帰ってきたら歓迎すればいいし、誰かのもとで暮らしていたとしたらそれでいいと思いますので、
いちおうの供養をするにしても、幸せを祈るようにしております。

それなら、亡くなっていたとしても、あちらでの幸せを祈る供養となりましょうし、
もし、どこかで生きていたとしたら、この世での幸せを祈る祈祷となりますからね。

私の実家は迷い鳥がけっこういましからね。
鳥が行方不明になったからといって、亡くなっているとは限りませんよ。
私のような人のところで元気に暮らしていることもありますからね。

私の実家は猫がいっぱいいましたからね。
猫が行方不明になったからといって、亡くなっているとは限りませんよ。
私のような人のところで仲良く暮らしていることもありますからね。

だから、行方不明になった時は、ただ幸せを祈ることにしています。
それと、迷い猫や鳥を保護することは、うちの子たちの為でもあると思っていたのです。
自分が保護しているように、誰かに保護されていてほしいとの願いからも迎えるようにしておりました。

でも、いくら生きていることを想っていても、年齢にはかないませんので、
猫なら何歳、鳥なら何歳と決めて、供養に切り替えますけどね。
不明なのだから、亡くなっているとは限らないので、何歳まで生きていたと思いたい気持ちから、
年齢でもって期間を決めることもあります。

どのように考えるかは人それぞれです。
皆さまの判断でいいと思います。

だって、皆さまと心が繋がっているのですから、
誰が決めることではなく、その人が決めることですよ。

どちらにしても、想う気持ちには変わりはありませんからね!