この世の中は「ギブ・アンド・テイク」で成り立っているとも言われます。
それなのに、どうしてペットたちから貰うことが多く感じるのでしょうかね。
今回のコラムは与えるものと受けるものの関係についてお話します。
愛するペットを失い、一緒に暮らせる日々の大切さや有難さを身に沁みて感じるものです。
そうすると、あの子たちからいろいろなものを貰ってばかりで、どれだけのことをしてあげたのだろうか?と、
今までを振り返ってみては、至らなかったことに後悔したり、懺悔して謝ったりと、思い悩み心が苛まれることがあります。
「私の元に来て幸せだったのだろうか?」
「こんな飼い主で幸せだったのだろうか?」
というように、あの子たちの愛情に対して、そのお返しなり、恩返しができたのだろうかと考えてしまうものです。
あの子は私が一緒に居て欲しい時には居てくれたのに、自分はあの子が居て欲しい時に、自分のことを優先してしまった。
あの子は私が辛いときにはそっと寄り添ってくれていたのに、自分はあの子が辛いことにも気付かず、自分のことばかりしていた。
あの子は私が飼いたいと迎えた子なのに、留守番ばかりさせてしまって、こんなことならもっと一緒の時間を過ごせばよかった。
というように、
あの子は多くの愛情を注いでくれたのに、自分はそれに見合う愛情を注いでいたのだろうか?
いつも貰ってばかりで、どれだけ与えることができたのだろうか?
と考えてしまうものです。
そう考えると、あの子は幸せだったのだろうか?と考えてしまいますよね。
そう考えてしまうのが人の心というものですが、
あの子たちの心を知る私としては、ちゃんと伝えなければなりません。
あの子たちはみんな、あなたと共に暮らせて幸せだったということを!
自分の至らなさやダメなところを、今になって気にしても仕方ありません。
私たちの至らないことなどみんな知っております。
だって、ずっと一緒に暮らしていたのですから。
私たちのダメなところだってをみんな知っています。
だって、なにも包み隠さず、ありのままの自分でいたのだから。
私たちは人前では自分を取り繕っていることが多いですが、あの子たちの前ではありのままの自分であったことでしょう。
そんなありのままのあなたのことを大好きでいてくれたのです。
あの子たちは、そんな私たちの至らないところも含めて全部好きと受け容れてくれたのです。
人間だから良いところも悪いところもあるのが当たり前で、完全な理想的な人はおりません。
いっぱい愛されたのは、ただあなたのことが大好きだからです。
あなたから思われること、あなたに声を掛けられること、あなたと一緒に過ごせることが嬉しかったのです。
そこにあなたがいたから、多くの愛情を注いでくれたのです。
あなたはただそこにいただけではありません。
あの子のことを誰よりも可愛く思い、誰よりも好きで、誰よりも愛していたはずです。
そのことを知っているのです。
その想いをちゃんと受取っていたのです。
あなたは与えていたのですよ。
当たり前のことすぎて意識したことないでしょうけれども、
そういうことがとても嬉しかったのですよ。
人間同士の関係においても同じようなことがありますよね。
相手は意識していなくても、とても嬉しいことがあるように。
何気ないことが、とても有難く感じるように。
多くの愛情を注いでいたから、多くの愛情を貰ったのであり、
この世の法則でもある「ギブ・アンド・テイク」をしていたのです。
与えることは、受けることであり、与えていたから、貰っていたのです。
与えては貰い、貰っては与え、お互いに与えると同時に貰い、貰うと同時に与えて、
お互いに愛情を交わし合っていたから、幸せだったのではありませんか。
あなたが愛されたのは特別な要件を満たしているからではなく、あの子たちが何か特別な期待に応えたからでもなく、
あなたがあなたであるが故に愛され、あの子があの子であるが故に愛していたのです。
お互いに思い合う間柄では、愛情は呼吸するかのようで、吐いては吸って、吸っては吐くように、与えては貰い、貰っては与えていたのです。
吸ってばかり、吐いてばかりの呼吸がないように、貰ってばかりでもなければ、与えてばかりでもないのです。
それ以上に、この信頼関係からすでに無条件の愛情に至っており、見返りを求めていない誠の愛情を施していたので、
与えたことなど当たり前で、あの子だからだたしてきただけで、
その施した行為を気にしていないから、貰ってばかりいるように思えてならないのです。
貰ってばかりいるように思ってしまうあなたは、あの子と無償の愛で結ばれていたのです。
すべては出逢えたことから始まっているので、
「私の元に来て幸せだったのだろうか?」と思い悩むことではなく、
「私との出会いはどれだけ幸せだったのか?」と見つめ直すべきなのです。
あたなが施した無償の愛は多いとか少ないとか、ちょっとやいっぱいということでは計れません。
見返りを求める愛と見返りを求めない愛では比較にならず、あるかないかで見比べることはできても、
多い少ないということで見比べられるものではありません。
あなたと出逢えたことが幸せの始まりで、あなたから施された愛情は幸せ以外のなにものでもありません。
あの子が施してくれた愛情も幸せ以外の何ものでもなく、
あの子の愛情に対して報いることは、後悔や罪悪ではなく、あなたがあなたらしくあることなのです。
あの子の大好きなあなたがいつものあなたらしくあることは幸せなことで、
今まで以上に愛を学び、より人生を深め、より優しく、より思いやりのある人になれたら、さらに幸せなことでしょう。
至らないところのある自分を含めて愛してくれたように、至らないところを認めて包みこみ、自らを愛することから始めるのです。
無償の愛情を施し合える相手がいることそのものが、そもそも幸せなことであり、運命の祝福に感謝しなければなりません。
あなたの中にあった愛情が、あの子によって発露して、あの子の中にあった愛情は、あなたによって発露して、
お互いに相性の良い相手だからこそ施し合えたのです。
あなたはあの子のために時間を使い、あなたはあの子のために命を与えたのです。
あの子はあなたのために時間を使い、あの子はあなたのために命を与えてくれたのです。
愛を与える行為は心の表現であり、費やした時間は命であり、
あの子の中で活かされ、私たちの中でも活かさたように、
自らの与えてくれた命があるのですから、想ってくれたのですから、
そんな自分を認めて下さい。
多くを与える者は、多くを受取ることになるのです。
あの子からいっぱい貰っていたということは、いっぱい与えてもいたのです。
自分はそんなに与えていないと思っていても、あの子たちからすれば嬉しいこともあり、
あなたは気づいていないのです。
自分の優しさに。あなたは知っているはずです。
あの子はあなたの愛を受け止めていたから、あなたへ愛を施していたのです。
あなたは知っているはずです。あの子の優しさを。
あなたの優しさが、あの子からお返しされたもので、
元々、あなたの中にあったものなのです。
あなたの想いや優しさを終わりにしないでください。
見える対象や抱ける対象がなければ愛を施せないというのであれば、
それは無償の愛から見返りを求める愛や条件付きの愛となってしまいます。
あなたはあの子から何を学んだのですか!
これからも想い続け、お互いに愛を深めて行けば、またの再会もありましょう。
お互いが想い合えば、引き合う力は強くなり、またの再会となりましょう。
与えることは、受けること。
想いを施すことは、想いを受取ること。
恩返しもお返しも遅いことはありません。
今からだって、いつだってできることです。
亡くなったからといって、終わりではありません。
姿が見えないからといって、終わりにしないでください。
あなたの中には貰った愛があります。
あなたの中には施す愛もあります。
これからも想い続けてあげてください。
あの子が大好きなあたなへ。
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