時間にも流れがあるように、さらに大きな流れとして、人生にも流れというものがあります。
私たちの人生というものは、自分の思うようになることもあれば、自分の思うようにはならないこともあります。
それは当然のことで、私たちが一人で生きている訳ではなく、他者との関わりなくして存在できないからです。
自分一人で世界のすべてのことを自由にできるのであれば、それは思うような人生になることでしょう。
そうであっても、この世には道理というものがあり、誰もが避けられないこともあるのです。
その一つが愛する者と別れるということです。
心から愛する者を喪うということは人生においてとても寂しいものです。
ですが、心から愛する者がいない人生はさぞ寂しいもので、そちらに比べれば素敵な出逢いがあったのですから、これを受け容れざるおえません。
悲しみたくないのであれば、愛さなければいいのです。
悲しみたくないのであれば、出逢わなければいいのです。
愛するということの中には、出逢いがあり、悲しみもあれば、寂しさもあり、様々なことが含まれているのです。
人生には流れがあり、出逢う時もあれば、別れる時もあるもので、いつも同じままではありません。
出逢うということは、2つの人生が交わることで、一時だけの交わりであることもあり、長く共に過ごす交わりもあります。
生き別れることもあれば、死に別れることもあり、いづれにしても別れる時がくるものです。
「ずっと一緒に暮らしていたい!」「このままずっと時が続いてくれたら…」
愛するペットとの暮らしは幸せですから、誰しもそう思うことでしょう。
そう思う一時でも時は止まることなる流れており、大きな時の流れてもある人生も過ぎ去っているのです。
時も人生も常に移り変わり流れているので、いつも同じではありません。
人生には山あり谷ありというように、良い時があれば悪い時もあるものです。
愛する者との別れは、人生での一大事であり、とても大きな出来事で、
人によってはペットとの別れはこれほど悲しいものかと体験するように、
人生において一番悲しい出来事となる人も多々いることでしょう。
幸せな時期を共に過ごしただけに、別れは大きな悲しみとなり、
この悲しみがいつまで続くものかと悲観することもありますが、
この間も時は流れており、やがて悲しみを癒す時が訪れるものです。
この出逢いから別れる日まで側に寄り添ってくれたことが、
そもそも人生の流れとなっていることもあります。
あの子と出逢わなければ、知り合いになることがなかった人もあり、
あの子がいなければ、乗り越えられなかった人生もあり、
あの子がいたから、心を癒され頑張れたこともあり、
あの子のお陰で今があるという方も多いかと思います。
あなたの人生の大事な時や困難な時を、守護者として見護るよりも、
魂の姿を命の姿に変えて、側で支えてるべく、助けるべく、心を癒すべく、
あなたの人生の流れに乗ってきてくれた者たちがおります。
あなたの人生の流れを知っていて、必要な時期に、愛らしい姿で側に居てくれたのです。
人生の岐路に別れがあることが多いのも、新たな人生の始まりに別れが多いのも、
ちゃんと知っていて命の時間を授かってきているのでしょうね。
そのことに感謝しなければなりません。
人生の流れは続いており、終わりではありません。
あなたの人生の流れにおいて、魂として寄り添ってきた者が、
命の姿を借りてやってきて、また魂の姿に戻って、人生の流れに遵って側にあり続けましょう。
そうして、あなたの人生を見護っていると、また再会できる命の姿を見出すことでしょうね。
そうして、いつか再会を果たすことになるというのも、あなたの人生の流れです。
自分の人生を信じて、流れに乗ってくれたことに感謝しなければなりませんね。
そして、あの子が信じてくれた人生を、あなたはまだ生きなければなりません。
ゆっくりとした流れかもしれませんが、
自分の人生に身を委ねてみてはいかがですか?
なるように、なりますよ。
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