今回は、喉仏というお骨についてお話します。
のど仏と聞くと、男性の首のあたりの出っ張りを連想しがちですが、喉仏というのは、第二頸椎となりますので、男性だけではなく、女性にもあります。
この第二頸椎は、人を火葬した際にも説明があります(ない時も多い)が、ちょうどお骨の形状が手を合わせて合掌しているような形で、
さらに、僧侶が着ている衣の両袖があるようにも見えることから、衣を身にまとった仏様の姿をしているということで「喉仏(のどぼとけ)」とも言われております。
このお骨は人だけにあるお骨ではありません。
首から2番目のお骨である第二頸椎ですから、犬にも、猫にも、うさぎにもあり、小さなハムスターなどから、大きなゾウやキリンに至るまで、みんなにあります。
それが不思議なことに、みんな同じ仏さまの姿をしているのです!
種族が異なれば、形態が違いますので、お骨の形状は異なるのが当然で、お骨の形は似ているようで同じではありません。
ですが、喉仏の形は種族が違っても同じ姿をしているのです。
ただ、大きいか小さいか、細長いか幅広いかという違いだけです。
これは、個体の大きさや体型によるものですので、私たち人間であっても体の大きい人は喉仏も大きく、細身の人は喉仏も細めで、
大きい小さいはその人の元々の体型によって違ってくるだけです。
種族の違いによって大なり小なりはありますが、みんな仏様の姿をしているということが何かを訴えているようでなりません。
この第二頸椎というお骨は、頭を支える第一頸椎の次にあり、体と頭を繋ぐ生命の根幹を支えている重要な役目のお骨で、
頭と体の間に位置しており、まるで精神と肉体をつなぎ止めているかのようでもあります。
そんなところに、仏様が合掌している姿のお骨が存在するのですから、生命の不思議さを物語っているように思えてなりません。
仏教の開祖であるお釈迦様は、命の本質を見抜いており、「すべての命は尊い」「命の中に仏が宿る」ということを言って、
すべての命は等しく平等で、すべての命に上下はなく、みんな尊いものであると、見た目の違いや種族の違いで差別をすることのないように教えを説きました。
見た目の姿や種族の違い、肌や髪・眼の色、言葉や文化の違い、大きい小さいに関わらず、
あらゆる命は仏さまからの授かりものだから尊いのであるということを、仏が宿るというように言って、みんな仲良く暮らしなさいと教えを説きました。
お釈迦様が仰ったから尊いのではありません。
命には代わりがありませんから、代わりができないことから、かけがえがないのです。
命には天から与えられた使命があり、お互いに支えながら、お互いに助けながら共同生活をしており、
欠けてはならない存在だから、かけがえがないのです。
命には代わりがなく、かけがえのない存在だから、すべての命は尊いのであって、
あの子は代わりは誰でもなく、自分にとってのあの子であって、あの子にとってのあなただから、尊いのです。
お釈迦様が仰ったから仏が宿っているのではありません。
共に暮らすことによって、支えられ、助けれらえ、励まされ、癒されてきたのです。
まるで仏様がペットの姿を借りて側に来てくれていたかのように、
あの子のお陰で今があると言えるほど、人生を救ってくれたのです。
神仏に願う幸せというものを、あの子たちは叶えてくれたのですから、あの子の命の中には仏様が宿っているかのようでもあります。
お釈迦様はお骨の形のことなどは知らなかったことでしょうが、火葬してみるとお釈迦様の言う通りで、みんな同じ形をしているのです。
家族や親族の火葬で人のお骨を拾うこともありますし、僧侶ですから人のお骨を見る機会が多いだけに、喉仏の形は良く知っており、
命の中には喉仏という仏様の姿をしたお骨が宿っており、人間だけではなく他の動物たちにも同じ形をしたお骨が宿っていることが不思議でなりません。
これは命が平等であることを示しているようでもあり、仏様には差別や区別などないことを示しているようでもあります。
人間は見た目の違いでもって差別しがちですが、命の本質では平等であることを仏様はお骨の姿で示しているようで、
種族の違いや、大きい・小さいで差別されるものではないのです。
人間と動物は違うという人は多いことでしょうが、人間も動物の一種族で仏様の姿は同じでなのです。
人によってペットの命を軽んじることがありますが、仏様の姿はみんな同じで大小の違いはないのです。
あちらの世界でも人と動物は違うという人がおりますが、仏様の姿はみんな同じ姿をしており、仏の世界には差別はないのでしょう。
お坊さんであれば喉仏の形をよく知っておりますので、動物と人は違うという僧侶に、
ゴールデンレトリバーの喉仏と小柄な女性の喉仏を並べて見せて、
「どちらかがあなたが尊ぶ人の喉仏で、どちらかがあなたが嫌う動物の喉仏です」と試してみたいです。
差別ある人がどちらの仏様のお骨を選ぶのか。。。(私って意地悪ですね)
どちらも同じ大きさになりますから、見た目の違いは何もありませんからね。うふふ。
いや、セントバーナードと普通の男性のお骨と比べてもいいかも。。。(私って意地悪ですね)
仏様を慕う者が、どちらの姿の喉仏を選ぶのか見てみたいですね。うふふ。
そんな実験などは、どうでもいいことで、それよりも大事なことは、
私たちにとって、あの子たちは家族の一員であり、大切な存在でることに違いはなく、命は等しく尊いもので、
私にとっても、皆さんにとっても、あの子たちは私たちに幸せを与えてくれた生きていた仏様だったということです。
そして、あの子たちにとっても、優しく接してくれたあなたは生きている仏様なのですよ。
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