そういうことはありません。
「あいつと仲良しだったから、連れだって逝ったのかもしれない」
というように言われることもあります。
「少し前に母猫が亡くなって、寂しくてこの子を連れていったのかなぁ」
というようなことも耳にします。
仲良しだと引かれて逝ってしまうのですか?
母親が子の死を望んでいるのでしょうか?
時系列で事柄が起こると、そこに関連性を見出そうとするものですが、
果たして、思いがある者同士は、引かれ合って死ななければならないのでしょうか。
それなら、怨んでいる相手や嫌いな相手こそ、あの世に引いて行きたいのではないでしょうか?
これあまり耳にしませんよね。
そんな間柄では、亡くなったことを耳にしませんからね。
逆に心置きなく暮らせることから、元気になって生きているものです。
つまり、思いのある者同士だから、関係の深い相手が亡くなると寂しいもので、
落胆が大きすぎて体調を崩すのであり、その結果として亡くなることもあるということです。
必ずしも体調を崩すとは限りませんし、必ずしも亡くなる訳ではありません。
お互いに同じ頃に時を迎えるべく、命の時間があっただけで、
絆の深い間柄だから、同じく時を迎えるように生まれ変わってきていたのであって、
仲良しだから引かれて死ぬ訳ではありませんし、寂しいからといって誰かを連れて逝けるものではありません。
それが可能だとすると、私たちはそうとう警戒しなければなりませんよね。
人の死を聞いたら、玄関にカギ掛けて、塩撒いたり、お経を唱えたりして、身を護ることをしないと、
寂しいからと連れて行かれてしまいます。
葬儀を執り行う者も責任重大ですよ。
その後誰か亡くなったら、その人の念力が足りなかったからと処断されてしまいます。
そういうように考えるとおかしなことになってしまいますので、
「こんな時まで一緒だなんて、ほんと仲のいい間柄だったんだね」
「寂しくないように迷わないように迎えに来てくれた母心ですね」
というようなことだと思いますよ。
物事は物の見方によって、感情も心も思いも変わりってきますので、
目で見てることだけではなく、心の目でも見ることが大切ですね。
曇りない清らかな眼で、物事を見ることが出来たら、いいのでしょうね。
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