51.  新しい子を迎えたいのですが、いつになったらいいのでしょうか?
いつでもいいですよ。
縁があれば出逢うし、縁がなければ出逢いませんから。

すぐにペットショップに行って、新しい子を見るなんて不謹慎に思われる方もおりますが、見る分にはいいのではないですかね。
見ているだけで、可愛いだけで、いいなぁと思うだけで、いいのではないでしょうか。
その中で縁がある子がいれば出逢うことになりましょうし、縁がなければただ可愛い子たちがいるだけです。

どんなに必死に探しても、同じような子たちはたくさんいたとしても、見つからない時には見つかりません。
出逢う縁がないのですから。
もう、こんな悲しい思いをするのなら、ペットは飼わないと決めていても、縁ある時には何故か迎えているものです。

すぐにペットショップに見に行くなんて、薄情な飼い主であの子に申し訳ないという気持ちになりましょう。
新しい子を迎えたい気持ちはあるけど、あの子が嫉妬してしまい、可愛そうなことになるのではないか。
そういうことを考えて、新しい子と暮らすことに躊躇してしまうことがあるものです。

一緒に暮らした幸せを知っているだけに、また一緒に暮らしたいと思う気持ちもありましょう。
別れの悲しみを知っているだけに、もう一緒に暮らさないという気持ちもありましょう。

またと思っても、縁のない時には出逢わないし、もうと思っても、縁ある時には出逢うものです。
だから、「いつから」ということではないのです。
直ぐかもしれないし、後になってからかもしれないし、ずっと後になるかもしれないし、来世ということかもしれません。
ですから、いつからではないのですよ。

またペットと一緒に暮らしたいと思うのであれば、すぐにペットショップに行ってもいいのですよ。
出逢う時には、心にピン!とくるもので、何故か気になるという子がいるものです。

心の節目として、一区切りしてからにしようということで、日を決めて喪に服すという方もおります。
一つの心の節目としては、四十九日の供養を済ませてから、一周忌の供養を済ませてから、という方は多いですよね。

新しい子を迎える時期は、いつでもいいのですが、寂しいからとのことで衝動飼いはしないでください。
あの子の面影を探して、似ているというだけで迎えないようにしてください。

あの子はあの子で、この子はこの子でしかなく、命にはそれぞれ心があり、性格も違いますからね。
命は工業製品のように同じ物ということはなく、みんな違うので、あの子の代わりではないのです。

そのことを理解せずに迎えてしまうと、時が過ぎてから落ち着いて来た頃に疑問を感じ、思い悩むこともありましょうし、
あの子と同じじゃないとのことで可愛がれないこともありますので、気を付けてほしいものです。

また、嫉妬してしまうのではないか、そうだと可愛そうだからと迎えたい気持ちがあるのに、
無理していることもありますが、今は仏さまですから、嫉妬することはないのですよ。

体がある時には執着がありますから、自分を見てほしいとの気持ちがありますが、
今は体を離れて仏さまとなり、あなたの幸せを望む者ですから、新しい子との暮らしを歓迎してくれますよ。
あなたが幸せになり、笑顔になれるのであれば、縁を導き間を取り持ってくれますよ。

嫉妬するほどであれば、新たな命になって生まれ変わってくることもできますから、
出逢いを否定してはなりませんよ。
可愛そうということであれば、この世で不遇だった誰かとあの世で友達になり、
あなたの元に行くように出逢いを導くこともあるのですよ。
あなたと暮らした幸せを一番知っているのはあの子ですから、自信を持って紹介してくるでしょうし、
その新しい子の守護者となって、あなたの元に一緒にやってきますよ。
新しい子を可愛がってくれる姿をみて嬉しくなりましょうね。

そんな子たちが嫉妬するはずはないのですよ。可愛そうでもありませんからね。
あなたの幸せを望むのが仏さまですから、あの子たちはあなたの幸せを願っておりますよ。

新しい子を迎えて、幸せになっていいのですよ。
そんなあなたの笑顔を見たいと望んでおりますよ。

あの子と出逢った時のことを思い出して下さい。
「縁深い者とは、出逢うべくして出逢う。一瞬たりとも早すぎず。一瞬たりとも遅すぎず。あの日、あの場所で。」
というように、何故か出逢うようになっていて、そうして出逢ったのですから、また良縁がありますよ。

「いつになったら」「いつから」とかいうように、心を頑なに閉ざさないでいいのですよ。
いつか、また、一緒に暮らしたいとの想いのままで、心の扉を開いていると、分かりますよ!ピンときますよ!

出逢うべくして、出逢いますよ。
あなたと出逢うために命の姿を授かってきた運命の子ですからね。
52. 横田さんがいいと思う供養の仕方があれば教えて下さい。
私がいいと思う供養ですと影響もありましょうから控えます。
ですが、私にとって(私の)いい供養であればお伝えします。

私にとってのいい供養となりますと、火葬の前に葬儀をしてあげたいですね。
同じ家族の一員として、人の場合にもお経がありますので、同じようにお経を挙げてあげたいです。
過去にはそれが叶わず悔しい思いをしたので、悔しい過去を変えるべく僧侶になったのですから、
火葬の前後は都合によりますのでどちらでもいいのですが、きちんとお経を挙げてあげたいですね。

火葬方法としては、立ち会ってお骨を拾ってあげたいですね。
人の言葉でも「骨を拾ってくれ」というように、最後を誰かに託したいことでしょうし、それが愛しい者であれば尚更なことです。
あの子のフリフリしていた可愛いシッポを拾ってあげたいし、あの子とにぎにぎした指先のお骨を拾ってあげたいですからね。

その後は、一旦家に連れ帰るか、そのまま合同供養碑に埋葬するか、その時によりましょうね。
一旦家に連れ帰ったとしても、供養の節目には埋葬することでしょう。
お骨に魂が宿るのではなく、自分の心に居場所がありましょうから、お骨は大地に還します。

魂の在り処が問題になるのですが、私はお骨の中に魂が宿るとは思っていないので、お骨は手放します。
だって、お骨壺の中に魂が宿るのではフタされていて真っ暗となってしまいますし、狭い骨壺で不自由な感じがしますからね。
それよりは、大地に還して、広く自由であってほしいと思います。
それ以前に、私の心というところに魂の拠り所がありますので、同じくどこかに宿るのであれば、
お骨に宿ってもらわず、私に宿ってもらおうと思います。

手を合わせる対象としてのお骨であれば、お骨でもいいし、お骨でなくてもいいと思いますね。
お骨を通じて想いを馳せる、想いを伝えることができるので、あってもいいとも思います。

だから、ある時までは家にお骨を祀るとしても、供養の節目の際に埋葬することになりましょうね。

その後の供養は、できるだけ、思うだけ、続けてゆきたいと思います。
死んだら終わりでは、寂しいですからね。
生きている時だって大好きだったのだから、亡くなってからも私個人の想いとして、大好きを伝えるべく供養することになりましょう。

そうしていくうちに、個別に供養するのではなく、自他共に一つになってゆき、個別の供養ではなく、
自分と共に生きているということから、自らの人生を謳歌しますし、拠り所である心を整えようと思います。

あの子たちが一生懸命に生きる姿を見せてくれたように、私も与えられている命の時間を最後まで一生懸命に生きてみようと思います。
そうしてから、楽しみな再会を果たしたいですね。
多くの子たちを看取ってきているので、あちらに逝く時には、ちょっとしたパレードになっていることを想像して、
にやにやしてしまします。。。

というように、
私にとっての、私個人の供養の仕方であって、皆さんとは異なるところもありますが、あまり気にしないで下さいね。
供養の仕方は人それぞれですから、想いがあればいいのですよ。
どのように想うかは個人の自由ですからね。気持ちの赴くように供養していいのです。
こうしなければならないということもありませんからね。
53. お骨に執着していると、ペットが成仏できないと言われました・・・
執着していることと成仏とは異なることかと思います。

成仏とは仏さまに成ることをいうのですから、人の場合であればお釈迦様の弟子になることも意味します。
そうなりますと、仏式にて葬儀しなければ、お釈迦様の弟子となりませんので、それ以外の葬儀では成仏できないことになってしまいます。

それでは、この世の中には成仏していない霊がいっぱい漂っていることになってしまい、
生きることが難しい社会になってしまいましょうね。
(生きることが難しい社会情勢になりつつあるので、もしかしたら、成仏していない霊がいっぱいいて、
 難しい社会情勢になりつつあるのかもしれませんね)

執着しているから成仏しないのか、手放せば成仏するのか、どうなのでしょうかね?
あるペット霊園では、「お骨を納骨しないとペットが成仏しませんよ」と言われ、霊園の納骨堂に納骨することを勧められるそうです。
この手の言い方は、いろいろな霊園ですることかと思いますが、ひどいところになりますと、
「納骨しないとペットの霊に祟られて不幸が訪れますよ」と言って、納骨することを勧める霊園もあるそうです。

ペット霊園の利益が高いのは、火葬ではなく、納骨ですからね。
多くのペット霊園がお骨集めに必死になる訳ですよ。
そのためなら、どんな言い回しをしようとも、どんな手を使ってでも、利益を得るために納骨させることに必死になり、
上記のような話になってくるのだと思います。

ですので、ペット霊園から納骨を強いられるようであれば、ちょっと疑っていいと思いますよ。
納骨させるための営業トークだと思って、自分の判断で決めてください。
(執着しているのは、どっちだって?と言いたくなります)

また、知人などから言われる際には、二通りの解釈がありましょう。
一つ目には善意のもので、悲しみから立ち直らせるために、あまり執着しない方がいいと言っていることもあります。
二つ目には意図のないもので、世間的にそうしているから、ただそうしたらどうかと言っていることもあります。

一つ目のことについては、悲しみから立ち直るためのもので、言い方は間違っていますが、
執着が立直ることを阻むことがありますので、正しい事でもあるのです。
いつまでも何かに拘り、そればかりに執着している状態ですと、他のことに目を向けることはできませんので気付きが訪れませんし、
他に得ることがあったとしても、手放さないと得られないものもあり、お骨に執着していると前に進めないこともあります。
両手がふさがっていては、新しいものを何も手にできませんからね!
その意味では、ペットが成仏しないのではなく、ペットが心配しているということなのでしょうね。

二つ目のことについては、人は自分が行ったことが正しいと思うものですから、
自分が納骨したとなれば、納骨していない人を見ると、納骨した方がいいとつい言ってしまいます。
相手の気持ちを考えてではなくて、自分の考えから言っているだけですので、成仏とは無関係の出来事でしょう。

ちょっと考えていただきたいのですが、成仏できないと言われることですが、納骨堂にお骨を納めることで成仏するのでしょうか?
お経も挙げてないのに納骨するだけで、成仏するのですか? 納骨しないと成仏しないのでしょうか?

ちょっと考えれば、おかしなことであっても、言われるといい思いはしませんよね。
そこで自宅で供養する時には考えておくことがありましょうね。

来客がある時にはお骨を移動するなどの対応をしていれば、言われませんからね。
人は見た目に囚われていますので、見えなければ気にならず、見えるから気になるのです。
私たちからすればおかしなことではなくても、おかしく見える人もいるので、気を使ってあげましょう。
やましい事ではないので移動することもないのですが、言われて嫌な思いをするのと、どちらがいいか考えてみましょう。

また、お骨を分骨して一部は自宅に置くものの、大半は納骨するなり埋葬するなりすれば、いいのではないでしょうか。
お骨分けしたお骨を素敵なケースに納めたり、インテリアにもなる分骨壺に納めたりしておけばいいのであって、
骨壺のまま置いていたり、人と同じような骨袋であたりするから、見た目からの違和感で言われるのでしょうから、
違和感のないように小さくしてみたり、可愛くしてみたり、素敵だなと見えるように整えればいいですよ。

最後にお伝えしておきますが、お骨に魂が宿るのではなく、皆さまの心に素敵な居場所があるのですよ。
お骨だけに宿るのではなく、お位牌に宿してお骨を納骨・埋葬してもいいのですよ。
お位牌だけに宿るのではなく、お写真に宿してお骨を納骨・埋葬したっていいのですよ。

お骨だけに執着していることが問題なのでしょうね。
世界はもっと自由ですよ。
54. お骨に執着していると、ペットロスから立ち直れない・・・
執着していると、確かにそうかもしれません。

何事もそうだと思いますが、あまり執着し過ぎていると、他のことが滞ることがあります。
それは、執着し過ぎてしまい、心が凝り固まって、自由な見方や自由な行動ができなくなっているからです。

お骨にばかり執着しているということは、その子の新たな命の姿に目を向けていないことになります。
新たな命の姿に目を向けていないということは、そこで時が止まったままになっていることでもあります。
その意味では、ペットロスから立ち直っておらず、そのまま立ち止まっていると言ってもいいのかと思います。

お骨はこの世で触れ合う為に借りてきた姿であって、あの子の愛しいものではあっても、そこにいるのではありません。
心と向き合うためのお骨であれば、心に向き合うことになりますが、お骨そのものだけを見ているのであれば、
あの子の方を見ようとしていないのと同じですから、物事は空回りしている状態で、ペットロスのままですよね。

心の拠り所として、手を合わせる対象として、心と向き合うための鏡として、
お骨を大切にして、愛しみ、祀るのであれば、徐々に心と向き合ってゆくことになりますけど、
お骨にばかり思いが偏っているとなると、それは考えでしかなく、
その子のことを想っているのではなく、自分のことを考えているだけです。

お骨があるから執着するのです。
お骨が目の前にあるから執着してしまうのです。

そこから、一旦離れてみるためにも実は納骨するということが善いのです。
離れてみることによって心に変化がありましょうし、お参りしてゆくうちに心に変化がもたらされます。
離れていても大丈夫になってきますし、離れていても平気になってくるのです。
そうなってきたら、お骨を埋葬しても大丈夫になりますし、大地に還しても平気になってきます。

行動することで心に変化が訪れますが、お骨を自宅に置いたままでは、そんなに変化がありませんので、
何か物事が起こらない限り変化することはなく、あまり時が進まないことが見受けられます。

お骨に執着するのではなく、一緒のお墓に入るまで手元に置くと一筋になっているのであれば、物事は異なりましょう。
一筋ということであれば、道に沿っていることでもあり、それに向かっていることでもありましょう。

前向きな気持ちからお骨を手元に置くのと、お骨にしがみつくために手元に置くのとでは、
人生の歩みは異なりますし、時の進み方も変わってきますよね。

お骨を手元に置いているから、ペットロスから立ち直れないのではなくて、心のあり様なのですよ。
お骨とどのように向き合うのかによって、ペットロスも変わってきます。

心が落ち着くまで、自宅にてお骨と向き合い、手を合わせてゆくのであれば、時が過ぎゆくうちにペットロスから立ち直ることでしょう。
自分と一緒にお墓に入るまで、側に置いておいて、語りかけながら大事にするのであれば、心は穏やかになってゆくことでしょう。

でも、お骨ばかりに目が奪われ、心と向き合うことをしなければ、時は止まったままとなり、ペットロスのままとなるでしょう。

お骨に手を合わせることも少なくなり、ホコリを被るようになり、ただ置いているだけであれば、
大地に還す目安となりましょう。

ただ置いているだけでは意味がありません。それでも手放さないとなれば、それは執着であり、物が捨てられない心の病でしょう。

多くの人がそういうことではなく、愛しい存在としてお骨を手元に置いているのですから、
別に執着しているとまでは言えないと思いますよ。

きちんと供養しているのであれば、手元で供養していていいと思いますよ。
そうしてゆくうちに、ペットロスから立ち直ってゆくことにもなりますからね。
55. 東京分室で火葬することはできますか?
火葬施設は設備してありませんが、移動火葬車を横付けすることで、葬儀立会火葬することができます。

東京分室をセレモニーホールとして葬儀をした後、分室前に横付けした移動火葬車にてお見送り、
その後、別室にてお骨拾いすることができます。

移動火葬車と聞くと良くない噂もありますが、こちらで提携している火葬業者さんはとても良い方で、
私の火葬についてのリクエストにきちんと応えてくれる優良業者さんですので、丁寧に火葬してもらえます。
長福寺で行っているように、シッポの先から指先まですべてのお骨を整えますので、ご安心下さい。

提携している移動火葬業者さんは関東圏内であれば応じてくれますので、私が皆様の自宅にて葬儀を執り行い、
自宅前に移動火葬車を横付けしてお見送りし、自宅にてお骨拾いすることも可能です。

同じ移動火葬車での火葬ですので、分室まで出向いて葬儀火葬するよりも、
自宅にて葬儀火葬する方が費用は若干掛かりますが楽かもしれませんよ。

また、自宅にて葬儀のみを執り行うこともできますし、皆様の予約されている霊園に一緒に行くこともできますので、
皆様のご希望のお見送りに応えたいと思います。


*2002−2011年まで芦花公園隣にありました東京分院には、火葬炉が2基ありましたので火葬することはできましたが、
 オーナーさんの意向により閉院となりましたので、現在は世田谷区での営業はしておりません。

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