41. ペットと人間とでは天国が違うと言われたのですが・・・
そうみたいですね。
西洋の考え方では、人間と他の動物とでは違いがありますからね。
同じ天国ではないかもしれません。

それだって分からないですけどね!

東洋では、他の命も重んじる宗教ですから、一緒でいいのではないでしょうか。
私も見てきた訳でないし、誰も死んで生き帰ってきた人もいないので、定かではありません。

西洋の方で、ペットが亡くなって牧師に天国に行けるように祈ってほしいと頼み、
天国が違うと断られたことから、今までの信仰に見限り仏教に信仰を変える人もおりますからね。

仏教者だって、いろいろな人がいて、動物は畜生道だから住む世界が違うなどと言う人がおりますよ。
多くのお坊さんが畜生道という考えからそう思っているかもしれませんね。
お釈迦さまはどう思っているのでしょうね。。。

西洋の心霊協会でどう考えているのか、ネイティブ民俗信仰などではどうなのか、いろいろな団体によって、
支持されている文献なども違いますからね。
考え方はまちまちですよ。

誰がどう考えているから、それに従うのでしょうか?
自分がこうと思ったら、それでもいいのではないでしょうか?

私は自分の信じること、信じたいことを信じます。
その結果がどうであったとしても、それは次のことであって、今の私は信じることを信じて生きることが、
人生を豊かにできると思っていますので、人がどうこうではなくて、自分がどうかと生きてゆきます。

こちらの世だって、住む国・生まれる国によっていろいろと違いますよね。
あちらの世だって、いろんな国がありますよ。同じ統一国家であったとしても、地域性というものがありましょうからね。
私は人間と動物が平等で、命の差別がない、仏さまの国に行くつもりですが、
動物お断りの仏の国に行く人はそれでいいのではないですかね。
こちらの世だって、ペット不可の集合住宅もあれば、ペット可の集合住宅もありますからね。

もしかしたら、ああだこうだと言い争っておいて、何もない無だったりしてね。
または、集合意識体という大きな流れの中にあって、違うかもしれませんよね。

言われてもいいじゃないですか!あなたが信じていれば!
そう想ってくれる人と暮らせたとしたら、あの子たちは嬉しいと思うことでしょうね。

人から違うと言われて納得がゆくのであれば、そういう人なのですよ。問題ありませんよね。
人から違うと言われて納得できないのであれば、自分の信じるものを信じればいいのではないでしょうかね。
この世で人は差別の多いことですが、信仰については人は自由だと言いますからね。

やっぱり、何だかんだ言っても、人とペットじゃぁ違うのか〜と、あの子たちを落胆させたくないので、
私は命は平等だと思います。あの子たちとの間にあった愛情は誠のものだと思いますから、そんなあの世を信じます。

信仰は自由なのですよ。
決まりもなければ、義務でもないのですよ。

あなたは何を信じたいのですか?
42. 転生することはあるのでしょうか?
あるのではないでしょうかね。
明確な証拠や私も前世の記憶がないので、定かではありあませんけどね。

過去生の話や輪廻転生の話にあるようなものと全く同じだとは思っていませんが、
似たような生まれ変わりの仕組みがあっていいのではないでしょうかね。
もちろん、この世で学ぶことが無ければ、この世に生まれる必要がありませんので、転生することはありません。
でも、好きな相手や触れ合いたい相手(同一ですね)がいたら、私は生まれ変わってくることを選びましょうね。

順番が上手く重なり合って、すべての者が同時にゴールしたとしたら、もう生まれ変わってこなくてもいいのかな。
それとも、新たな学びや課題があって生まれ変わってくることを選ぶのかなぁ。

自らの魂の霊格を高めるべく、学び合いの世界に生を受けたのであれば、魂の霊格が合格点に至らないと、
また生まれ変わってしまうのでしょうから、この世で学ぶこともあれば、果たすべき役割もこなさないとなりませんよね。

それとも、事はもっと単純で、あちらの世に飽きたからとか、旅行に行く感覚で、
こちらの世に来ているだけかもしれませんね。
年月の単位で言えば、こちらの世での滞在時間が決まっており、比較すれば短時間なのですからね。

まぁ、どんなことも思うのは自由ですからね。

私は人が人にしか転生しないという決まりがあるかどうかは疑問ですね。
動物が人に転生してもいいし、人が動物に転生してもいいじゃないですか。
お互いが入れ替われるのであれば、天国は同じ所になりましょうね。

この世で愛情を学び合うべく、お互いに役割を替えて、立場を入替えながら、
心を磨き、魂を高め合う仲間が、この世での出逢いを形成しているのでしょうから、
出逢う者たちとは仲良くしないとなりませんよね。

「袖触れ合うも他生の縁」という言葉があるように、この世で出逢う者たちとは、
他の生の時に縁のあった者たちで、何かを学び合う相手であり、支え合い助け合うべく相手なのでしょうから、
できるだけ多くの者たちに優しくできると魂の格が高まりましょうね。
「多少の縁」ではありませんが、多少の縁という深い浅いということでも、この世での浅い関係はともかくとして、
この世での深い関係にある者は、以前から続くものでありましょうね。
愛する者とはそういうことであってほしいものです。それなら永遠ということが叶いましょうからね。

あなたとペットとの出逢いは、何ですか?
お互いに転生してきたことなのではありませんか。
あなたが先に人になって生まれ変わり、あの子は人の姿では一緒に暮らす間柄になれないから、
あなたは人で、あの子は動物の姿なのではありませんか。

あの日、あの時、あの場所で出逢ったのは、何ですか?
お互いに深い縁のある者同士だから、赤い糸で結ばれている者同士だから、出逢ったのではないですか。
約束し合った者同士だから、再会の約束を守り、お互いに出逢ったのではないのですか。

転生しているから出逢うのでしょうね。

お互いに心と心が愛情という絆で結ばれているから出逢ったのでしょうね。

深い絆にある関係だから、ペットの姿であっても、そこまで愛することができたのではないですか。

私は転生があると信じている一人です。
43. 別れた者たちとあの世で再会すことはできますか?
きっと、再会できると思いますよ。
あなたの心にある愛情の絆は、離れていても切れることはありませんよ。

私は僧侶になる前から、多くの動物たちを見送っており、「あなたの後ろに動物がいっぱいいる」と言われた者たちと、
あの世で再会することを切望しておりますので、私のことをみんな出迎えてくれると思っています。
ちょっとしたパレードになるほど多くの者たちを見送っていますから、賑やかなことになりそうですね!

あの世で再会したいと思っていない人の元へは、誰も迎えに来てくれませんが、私たちが望めば叶いましょうね。
心が愛情の絆で結ばれた者同士であれば、再会することになりましょうね。

臨死体験などにある心の原風景にあることなのでしょうけれども、望む者が迎えに来てくれることもあれば、
まだ生きなさいと追い帰され、九死に一生を得たということもありましょう。
多くの人の心の景色には、綺麗なお花畑があったり、清らかな川が流れていたり、虹の橋が架かっていたり、天国の門が開いていたり、
文化や風習によってその景色は異なることがあるかもしれませんが、多くの人の心に中に素敵な原風景があるものです。
私たちが生まれてくる前の心の原風景で、普段は思い出すことのない記憶の片隅にあるものです。

どんな地域や文化でも同じようなことが語られておりますので、
あの世での再会があると思いますよ。私はそう信じる一人です。

だからといって、命を粗末にして、早い再会を望んではなりません。と言いたいです。
気持ちが分かるだけに、自殺してはいけませんと言い切れないのですが、
あの子たちに少しでも生きていてほしいと願ったのであれば、あの子たちも少しでも生きていてほしいと思っており、
あの子たちは一生懸命に生き抜いたのに、自分が一生懸命に生き抜かず、余命があるにも関わらず、
人生を諦めてしまったら、あの子たちはどのように思うのかなと考えてしまいます。

優しく出迎えてくれることかと思いますが、その瞳の奥はどこか寂しさがあると思うのですよね。
そんなあの子たちを見たいのではありありませんよね。
一緒に暮らしていた時のように、生き生きしていて、待ちわびていたよと言わんばかりの、
輝いた素敵な目のあの子たちを見たいとは思いませんか。

あの子たちを同じように、一生懸命に命ある限り生き抜いて時を迎えたら、
あなたの生き様に尊敬と誇りを抱き、最高の笑顔で迎えてくれることでしょう。
そんなあの子たちとの再会を望んでいることでしょうから、命を大事にしましょうね。

あの子の大切にしている命をあなたは持っているのです。
その命はあなただけのものではありません。
あなたはひとりではありません。
44. 後悔する気持ちをどうしていいのか分かりません・・・
どうしていいものでしょうね。

短時間で解決しようとするから、どうにもならないのであって、
時が来ればいずれは解決することもありますので、今の後悔していることを素直に悔いて、
いつかの時に活かせるように学びとしてください。

人それぞれ、後悔や罪悪感から解き放たれるには時間がかかるかと思います。
苦しい思いから楽になりたいので、急ぎたい気持ちがありましょうが、受け止めるべきことは受け止めなくてはなりません。
そこから逃げようとすれば、追いかけてくるだけで、辛い事ですが受け止めると変わるものでもあります。

時が過ぎて、いつか、この後悔が役に立つことがありますから。
その時に、「あの時に後悔していて良かった」と感謝出来る日が来るかもしれませんよ。

あの時、もっと〜していれば良かったと後悔するだけでなく、深く悔やむのであれば、
そこから何かを得るべきですよ。後悔の奥にあるものを見つめるべきですよ。
人それぞれでしょうが、学ぶべき何かが、変わらなければならない何かがあることかと思います。

愛する者を喪えば、愛している故に後悔や罪悪感が伴うもので、異常なことではありません。
誰しも経験することで、愛している人だから経験するのですよ。
愛する想いが空回りして、多くの人が必要以上に後悔することがあります。

何でも自分の責任にしてしまい、選択したこと、気付かなかったこと、全部できていればと、
できないことを思い後悔するので、後悔を解きほぐすことはできず、絡まった糸を解すには糸口を見つけなければなりません。
一人で解決してようとしても、自分では心の糸口を見つけられないものですから、
一人で抱え込まずに、誰かに思いを打ち明けてみるのもいいかもしれませんね。

後悔の塊は電子レンジで解凍できる訳ではありません。
すぐにはほぐれませんよ。

後悔の塊は氷のようなものです。
本当は愛情が固まって塊となっているのに、氷のように冷たいものだから、手にしていると冷たくしびれて、手放したくなるのです。
手放せばいいのですけどね。
でも、愛情が固まったものだから、何故か手放せないのですよ。
だったら抱いていればいいのですよ。
もう少し時間は掛かりますが、氷が融けて水になるように、後悔も解けて愛になりますから、それまで大事すればいいのですよ。

大事にして、起きた出来事から、何かを学べば、後悔の姿が変わってきます。
人生で生きる上で大切なことを教えてくれた、命をもって教えてくれた、かけがえのない学びになります。

後悔や苦しみは、人生からの贈り物だと思って、中身をご覧ください。
きっと何か見つかりますよ。

贈り物といっても、解きやすいリボンではなく、あなたが強く結んでしまったものですし、
いろいろと絡まってしまっていますので、ゆっくりと紐解いて下さいね。

絡まった糸を解すのが得意な人もいれば、時間のかかる人もいるものです。
時には、解くのが上手な人と話してみるのもいいかもしれませんよ。
45. 身代わりになって亡くなることはありますか?
ないと思いますよ。

ちょうど人生の節目と重なって、自分の身代りになって亡くなったのではないかと思いますよ。
また、自分の病気が見つかって、その後にペットが亡くなり、後に病気が快方に向かえば、身代わりになったと思いますよ。

もしかしたら、そうなのかもしれませんね。
今までの感謝の気持ちとして、功徳があって、あちらに逝く時に、病気や災いを持って行ってくれるのかもしれません。
そういうことであればありましょうけれども、身代わりになるということはできないでしょうね。

いわば、命を入れ替えるということですから、無理でしょうね。
寿命を分け与えるということだって、できないことでしょうね。

それができるのであれば、身代わりになってもいい!という人はいっぱいおりましょう。
交通事故に遭って、お年寄りが生きて、孫が亡くなったという時など、身代わりになってあげたいし、
重度の病気を持って生まれてきた子などの祖父母は、身代わりになってあげたいことでしょう。
若くして亡くなったりすることがあれば、寿命を分けてあげたいと思うものでしょう。

ですが、現実には身代わりになることもできないし、寿命を分け与えることもできないのです。

私がダイエットをしても、誰かが痩せる訳ではありませんし、
私が勉強すると、他の人の頭が良くなる訳でもありません。
トイレに行きたい時に、身代わりで行ってもらっても、何の解消にもなりませんよね。

この世では身代わりということはできないのだと思いますよ。

人生の節目には別れがあるもので、生別や死別があり、何らかの岐路にあるのですから、当然のことです。
それまでの人生を側で守るべくペットの姿を借りてきた守護者たちもいましょうから、人生の節目の際に別れがあるものです。
そんな時に、身代わりになったのではないかとの出来事があるとそう思いがちですが、
事が起こることを分かっていて、助けるべく使命をもってきた命であれば、その携えた役目を果たすべく、
身代わりになっているようにも見えましょうね。

身代わりになっているのではなく、それまでを助けるべく使命をもってやってきた、天の使いなのでしょう。

使命があったり、運命であったりすれば、そのようなことが起こりましょうけれども、
「事が起こったから代わりになる」という身を代えることはできず、
「事が起こるべくして身を備えていた」ということであれば、そうなることでしょうね。

お客様のお話の中でも、「病気を持って行ってくれた」「同じ怪我をして一緒に頑張れた」
「自分がが具合悪いといつも体調を崩すので、健康に気を付けていたので、この歳になっても元気なんです」
「癌検診で精密検査を受ける前にペットが癌で亡くなり、精密検査では癌が見つからず、持って行ってくれた」
というような、お話は多くあるもので、ペットのお陰でということはありますよね。

身代わりというようよりも、あの子たちのお陰さまということでしょうね。

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