1. 最高の供養をしてあげたいとのですが、どのようにすればいいのですか?

あなたがあの子に、してあげたいと思うことをすることが、最高の供養になると思います。
そうしてもらえたら嬉しいでしょうからね。

葬送儀礼としての最高の法要の仕方というものが各宗教・各宗派にあることかと思いますが、
お坊さんをいっぱい呼んで、お金をかけて盛大に葬儀や供養をすることはできます。
ですが、そのようにして形式ばかり整えても、そこに心が伴っていなければ、何の供養にもなりません。

心が伴わなければならないのですから、あの子のためにと思うことをすれば、そこには心が伴っておりますよね。
大好きな人からしてもらえることは、亡くなった子にとってどんなに嬉しいことかを考えれば、
最高の供養とは、形式ではなく、人それぞれということになります。

その愛情表現の一つとして形式を整えることもいい供養になりますし、僧侶に読経してもらうこともいい供養になります。
命日などの供養の節目に手を合わせることだっていい供養ですし、花を飾ったり、
供物を添えたりすることだって、いい供養となっているのですよ。

そこに、「想い」があること、これが最高の供養です。

私は僧侶ですので、できれば供養の際には、お経があるとより良いと思っておりますよ。

 

2. 人にはお経がありますが、動物にもお経はありますか?

ありません。でも、あります。

というように答えるのも、動物用のお経というものはありませんが、命に違いはありませんので、人と同じお経があります。
人間だって地球に生きる同じ動物であって、あくまでも1種族でしかなく、特別な存在という訳ではありません。
(人間は勝手にそう思い込んでいるところがありますけどね)
人用のお経であっても、人間も動物ですから、人用のお経は、動物用でもあると考えられます。

命は平等であって、仏さまは差別をすることはありませんので、
同じお経でいいのだと思います。

それに、私は修行中に御前様に聞いたことがあります。
「動物用のお経というものはあるのでしょうか?」と尋ねると、
「お前さんは、何に囚われておるんじゃ。何のためにお前さんは出家しおったんじゃ」と言われ、気付いたのです。

私は修行しているうちに、お寺のルールに囚われはじめ、こういうときはこうする、この時はこうでなければ、
というように囚われていて、動物用のお経と人間用のお経というように、
お経を区別・差別していることを御前様に指摘されてたことがあります。
私は動物たちにも同じくお経を挙げてあげたくて出家したのであって、何を囚われているのだ!と言われて気付いたのですが、
私自身が動物用のお経ということに囚われていただけで、同じ命なのだから、同じでいいということでした。
そもそも、私は同じものを求めていたはずなのです。
また、「そこに想いがあれば、それでええ」「お前さんという人間がおるじゃろ」とも言われ、想いや志が大事だと教えて頂きました。

もし、動物用のお経というものがないことが真理であれば、私は僧侶になれなかったことでしょうし、ならないようになっていたはずです。
そういうことからも、動物たちへのお経はきちんとありますよ。

私たちがペットたちに注いだ愛情が、人に対するものと同じであったように、愛に違いもなければ、想いに違いもなく、
まして、お経にはそもそも違いはないのです。

 

3. ペットのために、通夜・葬儀・供養は必要ですか?

必要ではありません。
「必要か必要ないか」ではなく、「してあげたいかどうか」ということだと思います。

何らかの形式の通夜・葬儀・供養というものは、あった方がいいし、した方がいいと思いますが、
必ずしもお経が伴なう通夜・葬儀・供養である必要はないと思います。
今まで一緒に暮らしてきた家族のひとりでしょうから、何もしないということはないと思います。

人間と同じようにしなければならない訳ではありませんが、家族のひとりとして、きちんとしてあげることは大切なことですし、
好きな人からしてもらえることは嬉しいことでしょうから、何らかの儀式というものはした方がいいと思います。
火葬することや土葬することだって葬送の儀ですから、葬儀ということになりましょうし、
遺骨や遺影に手を合わせることだって供養ということになりましょうから、形式にこだわることは必要ありません。

あの子のために、してあげたいと思うこと、できることはしてあげてください。

ペットたちだって、飼い主以外にもつながりのある人はおりますので、亡くなったことを連絡すれば、
火葬する前にひと目見に来てくれたら、自然な形でのお通夜ということになります。

火葬や土葬する際に、好きだった食べ物を添えたり、綺麗なお花を添えたりして見送れば、
きちんとした葬儀をしてあげることになります。

あの子らしい写真を選び、お部屋に飾って、お花を添えたり、ロウソクを灯したり、食べ物を供えれば、
きちんとした供養をしていることになりますよ。

撫でてあげたり、声を掛けたり、涙したり、一緒に寝たり、側で寝たり、食べ物を添えたり、おもちゃを添えたり、お花を添えたり、
カードや手紙を添えたり、写真を添えたり、手を合わせたり、お経を唱えてもらったり、いろいろな通夜・葬儀の仕方があり、
どれをとっても、あなたがしてくれることは、その子にとって嬉しいことであり、素敵な供養になりますからね。
形式に囚われることなく、できること、してあげたいことをすることが、自然な形での通夜・葬儀・供養となることでしょう。

家族のひとりとしての証明でもありますから、きちんとしてあげてください。

もちろん、私は僧侶ですから、これらにお経が伴うとより良いとは思います。

 

4. 火葬しなければいけないのでしょうか?

火葬した方がいいとは思います。

ペットが亡くなって、そのままにしておくことはできませんので、火葬なり土葬なりを選択しなければならないでしょう。
時には姿を残しておきたいということで剥製にしたり、フリーズドライにしてそのままの姿を残す方もいますが、
その状態であってもずっと置いておくことはできませんので、いつの日にかは火葬なり土葬なりする日が来ると思います。

剥製やフリーズドライなど日本の風土・風習からは馴染みがありませんから、あまり考える方もおりませんが、
一時的には姿が残っているということで心は楽になりましょうけれども、年月が経つとその姿に切なくなるとの感想を耳にします。

実際、私は剥製やフリーズドライの子を何度か火葬しておりますけれども、火葬に来る人たちは同じ事を言います。
「家に帰って来た時は姿があることが嬉しかったけど、月日が経つにつれて、
 動かない姿のまま置いておくことが正しいことなのかと思い始めた」
「そのままの姿を見ていることが、だんだん切なくなって、申し訳なくなってきた」
「最初はこうして良かったと思っていたけど、心が落ち着いてくると、このままでは可哀想に思えてきた」
というに、月日が過ぎて、心が落ち着き始めると、最初に思っていたことと、後になって思うことにはズレが生じてくるようです。

剥製やフリーズドライにする際は、火葬や土葬するまでの猶予期間と考えていただくようにして、
心が落ち着いたら火葬か土葬するようにした方がいいとは思います。
国立博物館の展示標本ではありませんので、ずっと保存するようなことではないでしょう。

私たち人間も同じですが、誰かに出逢い、触れ合うために命の姿を大地から借りてきたのですから、
いずれは借りてきた大地に還さなければなりません。
借りたものを返すというのは社会的な約束ごとでもありますので、生命を授かってくる時に大地と約束したことだと思います。

火葬や土葬以外にも、借りてきた体を大地に還す方法はあります。
河葬:川や海に遺体を流し、川から大地に還す方法
鳥葬:大型の鳥に捕食してもらい天に昇り、天から大地に還す方法

日本ではペットの土葬は減りつつあり、火葬が一般的になりつつあります。

土葬する場合は、自然が豊かな地域では野生動物たちに掘り起こされないように、深く穴を掘ってください。
そうでない地域であっても、ペットの大きさや体脂肪率によっては、異臭がすることもあり、深く穴を掘った方がいいでしょう。
いずれにしても、一旦火葬してから埋葬することの方が利便性もありますので、検討してみてください。

 

5. お骨を納骨しないといけないのでしょうか?

納骨しなくても大丈夫ですよ。
ただ、きちんと供養はしてあげてくださいね。

供養もしないのに、ただ置いてあるだけでは可哀そうだし、
きちんと供養していれば、誰に対しても負い目はなく、堂々としていられます。

火葬してもらった霊園さんなどで、
「人の場合も四十九日で納骨しますので…」「四十九日までに納骨しないと成仏しない…」
というようなことを言われたりすると、
そんなことはないと思っていても、心のどこかで心配になってしまうものです。

多くの人はお骨になっても、側に置いておきたいと思うものです。
そう思うのであれば、手元に置いて供養してゆけばいいと思います。

人の場合だって、必ずしも四十九日に納骨しているとは限りませんからね。
49
日間しか一緒にいられないなんて寂しいことですよね。

納骨しないと成仏しないということはありません。
逆に言うと、納骨するのであれば成仏するという訳ですから、これってどうなのでしょうかね?

他人の言う事に耳を傾けることは大事なことですが、判断するのは自分ですから、
想いのままの供養をした方が心の為でもありますし、される方も気持ち良くされた方がいいと思います。

だからと言って、ずっと家に置いておいてそのままにしておいていいという訳でもありません。
ずっと家に置いておいて、どうするのですか?と質問したくなります。

「いつまでもお家に置いていても…」「他のみんなと一緒に仲良く…」「お経が聞こえるところできちんと供養を…」
というように、納骨してあげる方がいいと思えば、納骨するのが良いのだと思います。

納骨したからといって、そのままずっと納骨し続ける訳でもありません。
いずれにしても、いつかは大地に還す日が来ることかと思います。

それまでの間を、どこで過ごすのか、どこに置くのか、どういう供養をしてあげるのか、ということだと思います。
家に置いておいて、時期を見計らい納骨するのもいいでしょうし、
納骨しておいてから、家に連れ帰るということだっていいでしょうし、
ずっとお家でも、ずっと納骨堂でも、はじめから合同供養碑でも、どちらでもいいと思いますよ。

最後に、打算的な思考から考えないでくださいね!
「納骨するとお金が掛かるけど、家に置いておけばお金が掛からない」ということからでは、寂し過ぎますからね。
家に置いておいて、手を合わせることが少なくなり、ホコリがかぶるようなら、
もう手元に置く必要がないのですから、すみやかに大地に還すことをお勧めします。

そのお骨は、あなたのものではありませんからね。
大地から命をいただいてきたのですから、いつの日にかは大地に還しましょ。