16. 人生の流れ
時間にも流れがあるように、さらに大きな流れとして、人生にも流れというものがあります。

私たちの人生というものは、自分の思うようになることもあれば、自分の思うようにはならないこともあります。
それは当然のことで、私たちが一人で生きている訳ではなく、他者との関わりなくして存在できないからです。

自分一人で世界のすべてのことを自由にできるのであれば、それは思うような人生になることでしょう。
そうであっても、この世には道理というものがあり、誰もが避けられないこともあるのです。

その一つが愛する者と別れるということです。

心から愛する者を喪うということは人生においてとても寂しいものです。
ですが、心から愛する者がいない人生はさぞ寂しいもので、そちらに比べれば素敵な出逢いがあったのですから、これを受け容れざるおえません。

悲しみたくないのであれば、愛さなければいいのです。
悲しみたくないのであれば、出逢わなければいいのです。

愛するということの中には、出逢いがあり、悲しみもあれば、寂しさもあり、様々なことが含まれているのです。

人生には流れがあり、出逢う時もあれば、別れる時もあるもので、いつも同じままではありません。
出逢うということは、2つの人生が交わることで、一時だけの交わりであることもあり、長く共に過ごす交わりもあります。
生き別れることもあれば、死に別れることもあり、いづれにしても別れる時がくるものです。

「ずっと一緒に暮らしていたい!」「このままずっと時が続いてくれたら…」
愛するペットとの暮らしは幸せですから、誰しもそう思うことでしょう。
そう思う一時でも時は止まることなる流れており、大きな時の流れてもある人生も過ぎ去っているのです。

時も人生も常に移り変わり流れているので、いつも同じではありません。
人生には山あり谷ありというように、良い時があれば悪い時もあるものです。

愛する者との別れは、人生での一大事であり、とても大きな出来事で、
人によってはペットとの別れはこれほど悲しいものかと体験するように、
人生において一番悲しい出来事となる人も多々いることでしょう。

幸せな時期を共に過ごしただけに、別れは大きな悲しみとなり、
この悲しみがいつまで続くものかと悲観することもありますが、
この間も時は流れており、やがて悲しみを癒す時が訪れるものです。

この出逢いから別れる日まで側に寄り添ってくれたことが、
そもそも人生の流れとなっていることもあります。

あの子と出逢わなければ、知り合いになることがなかった人もあり、
あの子がいなければ、乗り越えられなかった人生もあり、
あの子がいたから、心を癒され頑張れたこともあり、
あの子のお陰で今があるという方も多いかと思います。

あなたの人生の大事な時や困難な時を、守護者として見護るよりも、
魂の姿を命の姿に変えて、側で支えてるべく、助けるべく、心を癒すべく、
あなたの人生の流れに乗ってきてくれた者たちがおります。

あなたの人生の流れを知っていて、必要な時期に、愛らしい姿で側に居てくれたのです。
人生の岐路に別れがあることが多いのも、新たな人生の始まりに別れが多いのも、
ちゃんと知っていて命の時間を授かってきているのでしょうね。

そのことに感謝しなければなりません。
人生の流れは続いており、終わりではありません。
あなたの人生の流れにおいて、魂として寄り添ってきた者が、
命の姿を借りてやってきて、また魂の姿に戻って、人生の流れに遵って側にあり続けましょう。

そうして、あなたの人生を見護っていると、また再会できる命の姿を見出すことでしょうね。
そうして、いつか再会を果たすことになるというのも、あなたの人生の流れです。

自分の人生を信じて、流れに乗ってくれたことに感謝しなければなりませんね。
そして、あの子が信じてくれた人生を、あなたはまだ生きなければなりません。

ゆっくりとした流れかもしれませんが、
自分の人生に身を委ねてみてはいかがですか?

なるように、なりますよ。
17. 後悔と選択
愛するペットとのお別れにおいて、必ずと言っていいほど、私たちは何らかの後悔をするものです。

「何でもっと早く気づいてあげられなかったのか…」
「こんなことなら、あの時こうしてあげればよかった…」
と過去を振り返って、いろいろと思うことがあるものです。

最後を看取ることについても、
病院で死を迎えると「家で過ごさせてあげればよかった…」となり、
自宅で死を迎えると「病院に連れて行けば良かったのでは…」となり、
どちらの道を選んでも後悔したりするものです。
愛すればこそ、思っているからこそ、選んだ結果が望むものでなければ、過去に振り返って、
「あの時、こうしていれば、こんなことになっていないのではないか」
「あのことがなければ、今も元気にしているはずだったのではないか」
というように、違う選択をしていれば、こんな結果になっていなかったのではないかと後悔するのです。

今までのように元気でいてくれたら、どの選択肢を選んだとしても後悔などせず、「これでよかった」と選んだ道を肯定できたのです。

その時に最善と思える選択をしたにも関わらず、起こった現実が望まないものであった時に、過去に振り返って後悔するのです。
将来起こりうる未来が分かっていれば、そんな選択はしなかったのかもしれませんが、先の未来が予知できる者はいないのです。
ただ、そうなるだろうと思える選択をしたのであって、あなたの選んだ選択は、その時点においては間違っていないのです。

後から考えてみれば、できることはあったかもしれませんし、違うこともできたことでしょうけれども、
それらはその時にできたことではなく、あくまでも後になってみてのことなのです。
冷静になって物事を見つけることができる今だから考えられることであって、
あの時の状況下では考えも及ばなかったことでもあるのです。

これが最後の別れになると死期が分かっていれば、多くの人は後悔しないでお別れができるのかもしれませんが、
人は未来を見通せるほど澄んだ瞳を持ってはいないのです。

望む未来であれば後悔せずに、やり直すことをせず、望まぬ未来であれば後悔して、やり直したいと望むことは、
都合のよい人間ならではの思考というもので、人の思考の悪い癖でもあるのです。

時間というものは常に未来に向かって進んでおり、それぞれの人が過去に振り返ってやり直しをしていたら、
今という時代は訪れてなく、遠い未来の先にすら訪れることのない時代となりましょう。

その時、その時を一生懸命に生き、自分にできる精一杯のことをしたのなら、それ以上を望むのは慾張りというものです。
これでは、いつまでたっても際限がなく、お互いに健康的で何不自由の無い生活を永遠に過ごすところまで至ってしまいます。
また、後悔するから人生を振り返ってばかりいると、生まれて来なければ良かったということにも至ってしまいます。

この世の道理は、形ある物はいつかは壊れ、命ある者は必ず亡くなるのです。
辛い事ではありますが、これがこの世にルールで誰しも避けることのできない事で、この世に生を授かってきた時に選んできた選択なのです。

誰もが愛する者との別れを望んではおりませんので、愛する者とのお別れにおいて、人は誰しも何らかの後悔をするものなのです。
後悔というものは、私たち人間側のものであって、ペットたちの視点から見てみると、どのようなものになるのでしょう。

ペットたちは飼い主さんのことを良く知っております。
あなたの優れたところも、あなたの至らないところも含め、そのままを大好きと受け止め、無償の愛情であなたを受け容れてくれたのです。

そんなあの子たちは知っているのです。

病院でひとりで逝かせてしまったと後悔していても、あなたが自分のことを思ってくれ、楽になってほしいと望み、良くなって欲しいと願い、
自分のことを愛してくれていたことを分かっており、あなたの想いを側に感じていたので淋しくはなかったのです。

あなたが留守の間で看取れずに後悔していても、あなたが自分のことを思ってくれ、仕事をしていることも、用事のあることも分かっており、
いつものあなたが大好きで、涙ながらに見送られるよりも、自分が笑顔で見送ることが好きな子たちもいるのです。

亡くなれば体から離れて、思ってくれている人の元へ飛んで行き、一緒になって帰ってきたことでしょう。

もっと好きな物を食べさせてあげればよかったと後悔していても、あなたが自分のことを思ってしてくれていたことだと今は分かっております。
そのお陰で今まで一緒にいることができたこと、食べ物よりも一緒に過ごせた幸せに感謝しているのです。

あなたが後悔していることを、あの子たちは後悔していないのです。

ペットたちはみんな大好きな人の思いに応え、与えられた状況を素直に受け容れ、その時にできることを一生懸命に、精一杯の力で生きているので、後悔することがないのです。
いつか別れる日が訪れることは、あなたと出逢うために命の姿を借りてやってきた時から決まっていたことで、後悔しないように毎日を過ごしていたのです。

いつも精一杯生きていたから、あなたにお腹を見せて、ぐっすりと寝ていたのですよ。

あなたと別れる悲しみよりも、あなたと出逢えた幸せに感謝しており、あなたに思ってもらえた気持ちを心地よく感じているのです。

今は仏さまとなって、あなたの心に側におり、
あなたが後悔するほど愛してくれる想いのあることに嬉しさもあれば、そのことで辛い思いをしていることに心配もしておりましょうね。

「後悔しても始まらない」ということを、大切な命から教えられ、後悔することで痛く身に沁みるほど学んだことでしょう。
後悔することで、結果ではなく、今をどう生きるのかが大切なことを、あなたはペットたちの生き様から教わったはずです。

生前は精一杯生きることで…
死後は想いを伝えることで…

「後悔しても始まらない」というのも事実ですが、「後悔して始まる」のも真実です。

あの時の後悔のお陰で、次に後悔しないで済むことがありましょうし、
あの時の後悔のお陰で、より素敵な人生が待っていることもありましょう。

そうして、後悔から始まることだってあるのです。

ある選択により後悔することは悪い選択ではありません。
今に至る道であり、これからの道の過程であり、このさらに先の人生で良い結果をもたらすものに変わるかもしれません。

あなたを思う者が与えてくれた後悔であれば、後悔の中には愛が含まれておりましょう。
あなたの後悔を紐解けば、そこには愛がありましょう。

禅の言葉には「氷で顔を洗う」という言葉があります。
氷で顔を洗えば、ゴツゴツしていて痛いですし、氷をすくっている手は凍てつくことから、手放してしまいます。
それでも大事に手放さなければ、手の温もりも相まって氷は水となり、人肌に馴染み顔を洗うことができるのです。

愛する故に後悔するのであり、愛していなければ後悔することはないのです。
あなたの後悔は選択の誤りではなく、あなた愛が凝り固まっているものです。

大事な後悔だから、手放す事もせず、忘れることもできないのです。

そうであれば、今は辛い後悔を大事にし、前向きに後悔して、後悔したことから学び、学んだことを人生に活かし、人生の幅を広げたいものですね。

そうして、ペットたちのように、今を精一杯生きられる者になれたら素敵な後悔となりましょう。
18.後悔と懺悔
愛するペットを喪えば、人は何らかの後悔をするもので、愛すればこそです。
その後悔の中には自責もあれば、罪悪感もり、「ごめんなさい」と謝ることもありましょう。

素直に「ありがとう」が言いたくても、「あの時に〜してあげればよかった」と思うと、
「あの時に〜してあげられなくて、ごめんね」となってしまうし、
「もっと〜すればよかった」と思うと、「至らない飼い主でごめんね」というようになり、
「気付いてあげられなくてごめんね。「分かってあげられなくてごめんね」「苦しい思いをさせてごめんね」
などと生前のいろいろな場面について、至らなかったことを悔やみ、謝りたい気持ちになるものです。

あまり謝ってばかりいると、「あの子たちが成仏でいない」とか、「辛い思いをしてしまう」とか言われ、
どうしたらいいものかと悩むこともあるものです。

そういったことはないにしても、あなたを悲しませるためになくなったのではなく、あなたを苦しませるために別れたわけでもありませんので、
大好きな人が「ごめんね」ばかり言って、悲しみ苦しんでいたら、それは心配しますよね。

愛されている思いから「ごめんね」と言われるよりも、
一緒の暮らしのいろいろなことに「ありがとう」と言ってもらう方が嬉しいことでしょう。

あの子たちは与えられた命の時間に遵っただけで、あなたを苦しませるために亡くなったのではありません。
あなたと幸せになるために出逢ったのであり、あなたを悲しませるために出逢ったのでもありません。

それなのに、大好きな人が「ごめんね」ばかりで苦しんでいら、どう思うのでしょうか?考えたことありますか?

それでも自分を許す事ができず、謝ることばかりでは、自分の犯した罪を背負って行く覚悟でいたとしても、
果たしてそのような苦しみを背負うことが罪の償いになるのでしょうか?

犯した罪に値する罰があるとして、相手が望まない罰では償いにはなりません。
相手の望むことで償うことが本当の償いであり、独りよがりの償いでは、なんの償いにもなりませんよ。

あの子たちは生前も、あなたの至らないところも含めて大好きをと受け止めてくいたのですから、
亡くなって体を離れて、仏さまとなっては、あなたのことをすべて分かっており、許してくれております。

それなのにひたすら謝ってばかりでは、自分を許せないのではなく、
亡くなった子たちに罪の責任転換をしているようなもので、亡くなったことを責めているようにも感じましょう。

愛するペットを喪った飼い主は、ペットの亡き骸の前で生前のことを悔やみ、心の底から涙を流し懺悔して、
様々なことに「ごめんね」と謝っております。

これは宗教でいうところの懺悔にあたります。
神仏の前で自らの至らなさを告白し、後悔している事柄を悔い改めることを誓うことで、
それは罪ではなくなり学びとなって、自分の人生に活かしてゆくことで許されるのです。

亡くなったペットという仏さまに、心から謝っているのですから、あなたは許されているのですよ。
あなたの罪悪感は、もともと感謝の気持ちが凝り固まったもので、ありがとうの感謝の気持ちがいっぱいあるにも関わらず、
至らなかった自分を認めることができず、恩返しすることができず、ごめんねと言っているものなのです。

ただ謝るのではなく、心から悔い改めるのであれば、罪は罪でなくなり、自分の身に修まる学びになります。
後悔の思いを解きほぐし、素直に愛せるよう、罪悪感を解きほぐし、素直に感謝できるよう、懺悔すればいいのですよ。

どのように懺悔するのかは人それぞれでしょうが、僧侶や神父に告白して祈ってもらう人もおりましょうし、
お手紙を書いて気持ちを述べてお焚き上げしてもらう人もおりましょう。
自ら遺骨や遺影の前で手を合わせ祈ることだってできるはずです。

あの子たちは、あなたが苦しむことを求めてはおりません。
あなたがあの子たちに安楽を望むように、あの子たちはあなたの幸せを望んでおります。
仏さまとなり死後にそのようなことを望み始めたのではなく、
出逢う前からお互いに幸せになるべく命の姿を借りてきてくれたのです。

その暮らしが幸せだったのなら、素直にありがとうを言ってあげてください。
暮らしの中で笑顔がいっぱいあったのなら、素直にありがとうと言ってください。

愛情が凝り固まったものが後悔で、感謝の気持ちが凝り固まったものが罪悪感で、
どちらも解けると優しさや思いやりに変わり、後悔と罪悪感を懺悔することで学びに変えて、
償い修めることで身に備わり、人はより強くなり、より優しくなるものです。

後悔や罪悪感は、人生において磨けば光る原石であり、あの子たちから貰った人生のプレゼントでもあります。
あなたがあなたらしく、より優しい思いやりのあるあなたになるための心の原石です。
磨けば光る心の原石を仕上げることは、あなた自身に委ねられており、磨くか磨かないかは、あなたの心の強さや覚悟によるところです。

磨くということは擦れることですから、心の粗が削れる時には痛みもありましょう。
磨くには水が必要でしょうから、心を磨くには涙がかかせません。
最後に仕上げる時には柔らかい布で磨くように、あなたの優しさで磨いた心は、とても素敵な輝きを放つことでしょう。

そんなあなたとまた暮らしたくて、その輝きを目印にして、また命の姿を借りて出逢いにきてくれますよ。
19. 涙のあとに
人生には涙を流したあとに輝く贈り物があることを知っていますか。
心の底から涙を流した者にしか見えない世界、いっぱい涙を流したことで知ることがあるものです。

愛する者を喪えば、いろいろことを思い出しては涙することでしょう。
出逢った時のことを思い出せば、懐かしく思い涙することもあれば、
楽しく過ごしたことを思えば、幸せな気持ちで涙することもあり、
支えられたことを思い出せば、感謝の気持ちから涙を湛え、、
闘病や介護の時を思い出すと、心が痛み涙が溢れ、
至らなかったことを思えば、苦しいほどに涙が流れ、
時が経っても、ふとしたことで涙が零れるように、
いろいろなことにおいて涙するものです。

涙にはいろいろな想いがあり、様々な涙がありますが、
涙は愛するが故のもので、愛が涙となって流れているのです。

それなのに、「いつまでも泣いてばかりて…」と涙を諫められることもあれば、
「いつまでも涙していると…」と励まされることもあり、涙を流さないことが求められているようで、
周囲のことを気遣い涙を抑え、涙を流さないようにしてしまいます。

自分のことを思ってくれていることが分かっているだけに、
それがどれだけ辛い言葉であり、どれだけ苦しい涙を流すかを人は知らず、
何気なく言われることで心は傷つき、分かってもらえないことで心は沈み、
人の好意を素直に受け止めることのできない自分に嫌気を感じ、
他人には理解できないことだと心を閉ざして、涙を抑えてしまうこともありましょう。

励まそうとする者は、そのようになっていることを知らず、あなたのためを思うが為に、
会うことすら、話すことすら、辛いことになる時だってあるのです。

自分のことを思ってくれていることから、自分の気持ちを押しつけて、
いつものように元気に振舞ったり、無理に笑顔を取り繕っても、
見た目は立ち直っているように見えても、心は置きざりのままで立直ることはできません。

時が過ぎるにつれて、立ち直っているだろうと思われ、もう平気だろうと思われ、
時が過ぎるごとに話づらくなり、あの子の話ができづらいことだってあるのです。

そのために、ただ独り、辛く苦しい涙を流すこともありましょう。

外側から押しつけられた・押し込められた作り笑顔では前向きになれず、
それでも周囲に迷惑を掛けまいと無理してしまい、体が疲れてしまう人もいれば、心が疲れてしまう人もいるのです。

一生懸命に平静を装っているだけに、夜独りになるとその反動から、痛くて身に沁みる涙を流すこともありましょう。

涙を否定する文化では、涙する者にどのように接してよいのか戸惑うために、
泣かせてはいけないと考え、悲しい話は避けるようにして、涙を流させないようにするのです。
そのために、涙している者と向き合う時に、涙を止ますことが目的となり、涙を抑えようと話すことになってしまい、
心を助けようとしていることが涙を止めるということに刷り替わり、そのために心に伝わらない言葉を投げかけてしまうのです。

涙を否定する文化では、ポジティブを嗜好する社会風潮からも、積極的なことが善しとされるので、
笑顔であることが善となり、涙は消極的なものとして敬遠されてしまう。

本当のポジティブシンク(積極的思考)というものは、辛苦を経て辿りつく思考でもあるのですからポジティブ辛苦であり、
悲しいことや辛いことをしっかりと感じ、徐々に受け止めてゆくことで、心は上向きになってゆくものです。
そうした辛苦を経て、喜びや幸せをより感じるようになることが、ポジティブシンクというものでしょう。

涙の中にはいっぱいの想いがあり、涙のあとには想いが残り、ずっと続く愛情がそこにはありましょう。
涙のあとに、本当の感謝と笑顔が訪れましょう。

悲しいことがあったら、素直に泣けばいい。
社会的な役割上、泣けない時には歯を食いしばり、泣ける時に泣けばいい。

心のわだかまりは涙が洗い流してくれます。
悔しいことがあったら、素直に泣けばいい。


流す涙は乾いて天に届き、空を潤し、やがて恵みの雨となる。
乾いた心を潤す雫となって、いずれ心は慈愛の泉となる。
涙が枯れるまで泣いたことのある人は、人の流す涙が身に沁みて分かります。
気持ちが分かるあなたなら、優しい慈愛の言葉を掛けることができます。

悲しい時には十分に悲しまないと立直ることはできないし、
十分に泣かないと人はそう簡単には変われません。

悲しみの涙であろうと、感動の涙であろうと、
悔しさの涙であろうと、感謝の涙であろうと、
人の心を動かす時には涙なくして語れない。

悲しみを否定して、喜びだけを得ようなんて無理なこと。
悲しめる心がある方が豊かな心であり、
多くの喜びを与えてもらい、共に過ごした日々が豊かな証。

心から流れた涙が雨ならば、涙の後には晴れがある。
雨があるから大地は潤う。涙の後には心が潤う。
雨の後にはいろいろな雫が輝くように、涙のあとにはいろいろな思い出が輝きだす。
台風の後には空が澄みわたるよう、大泣きの後には笑顔があります。


空の天候に左右されることなく、いつもそこには星がある。
雲があっても星がある。雨であっても星がある。いつもそこには星がある。
昼の明るさで星が見えなくても、いつもそこには星がある。
あなたの心には、いつもと変わらず星がある。
今までと同じく、これから先も。

夜は輝く星があるように、あなたの愛情に照らされて、いつも輝く星がある。
あなたを照らす星がある。ひと目で分かる輝く星が。
あなたの心に宿っている。涙のあとに輝く命の星が。

今も昔もあなたを照らす。
いつも心には素敵な星があり、あなたの想いで輝く星が、いつもあなたを照らしている。
20. 涙がかわくまで@
愛するペットを喪い、泣きに泣いて、ティッシュでは拭き足りなく、タオルが必要であったことでしょう。

泣き疲れて横になっても涙はでるもので、枕やシーツを涙で濡らしたことでしょう。

いっぱい涙を流し、目は充血し、目元が腫れるほど涙したことでしょう。

いったい涙はいつまで流れるのでしょうね。
そもそも、涙とはいったい何なのでしょうかね。

私たちが流す涙には2種類のものがあり、一つは生理的なもので目の機能を維持するための身体的な涙で、
もう一つは感情的なもので心の機能を維持するために流す涙とあります。

涙は生理的な機能として、瞳に潤いをもたらし、目の表面のゴミを流したりするものです。
好きな人を見る時には、ちゃんと見たいし、綺麗に見たいことでしょうから、瞳は潤い、目の汚れを取り除き、
うるうるした瞳で見るように生理的に機能が働くことでしょう。
あの子たちは大好きな人を一生懸命に見つめて、あなたを分かろう、あなたに語ろうとしていたのです。

大好きなものを見つめる時には瞳が潤うものですから、あの子たちの姿を見る時にはいつも涙しているとも言えます。
そうなると、生きている限り、いつまで経っても涙は枯れることがありませんね。

もう一つの機能として、心を維持するためにも涙は必要なのです。
流す涙は同じでも、いろいろな感情の涙があるもので、笑い、喜び、感動、悲しみ、悔しさ、辛さ、切なさ、などいろいろあります。
同じ心の感情が涙となるにしても、別れほど涙を必要とするものはありません。
特に、死別という場合には、多くの涙を必要とします。

この死別という心の感情を癒すには、多くの涙と長い時間がかかり、
共に過ごした日々のいろいろなことに、その都度涙することで、少しずつ心の整理をしてゆくものです。
思い出すことによっても涙は異なり、潤うくらいの時もあれば、ひと雫流れる時もあれば、止めどなく流れる時もあるものです。
その時その時によって必要な涙の量は異なりますが、心を維持するための涙でもありますので、その都度必要なだけ涙しなければ、心は癒されないのです。

心の傷を癒すには涙が必要で、涙には傷口を塞ぐ成分があるからかもしれません。
涙は無色透明ですが、もともとは血液であり、涙線にある毛細血管において赤血球が透過された血液なのです。

血液には傷を塞ぐ成分が含まれており、体が傷つけば傷口を塞ぐように血液が流れ、心が傷つけば心を癒すべく涙が流れ、
色の違いはあるにしても、血液が流れる時にはいつも痛みが伴うものです。
涙することは痛みを伴なくことかもしれませんが、心の傷を塞ぎ、心を癒すためにも、
心で抱え込まずに、泣きたい時に、泣ける時に、泣くことが心にとっていいことなのです。

いろいろな涙を流して、心は回復してゆくのです。

あなたの流す涙には想いがあり、幸せだった日々に涙して、大好きだからこそ涙して、愛しているからこそ涙しているのであって、
離れたくないから涙し、辛かったろうと涙し、よく頑張ったと涙し、後悔から涙することもあれば、感謝から涙することもあり、
涙することは想いの表れでもあり、あの子を想う涙はとても素敵なことなのです。

物質的には輸血することで命が回復するように、精神的には透明に澄んだ涙を流すことで、魂に命を息吹を与え、
あなたの心と共に生きる新たな命となるのです。

一緒の暮らしでは幸せから涙を流し血を分かち、別れでは悲しみから涙を流し血を分かち、
涙と共に心の絆は澄んだ血で強く結ばれ、種族を超えて血で繋がれた間柄となり、いつの時代も共にあり続けることができましょう。

共に暮らして心が癒されたように、心の中で共に暮らすようになれば心が癒されましょう。

新たな命と共に生きることで、流す涙により人として優しくなり、魂は一つとなって共に人生を歩むことでしょう。

想いという愛情の涙から、後悔や罪悪感はやがて押し流され、涙のあとに残るのは、想いという清らかな愛情となり、
涙がかわく頃には、出逢えたことに感謝することができ、共に暮らせた幸せを抱けるようになり、豊かな思い出として心に残りましょう。

涙がかわくまで涙してください。
あなたの涙には愛があります。
涙することでさらに心の絆は強くなります。
涙のあとに残されるものは、澄みきった愛となり、心の大切な宝物となりましょう。

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